先生方からのメッセージ

98/03/13 更新


お名前の後の()内は、附設に在籍していた年です。 生年ではないので、お間違いのないよう・・・。

文化祭前にあわてて作ったので画像とかは大幅に手抜きしてます。


大津留 敬 先生(1969-)
歌会始御入選記念冊子より Update!
(98/03/13)


 卒業生の皆さん、お元気でご活躍のことでしょう。 私がこの1月の歌会始の預選者となったことについて皆さんが大変よろこんで下さって有り難うございました。 ホームページにもコメントお寄せ下さったの見ました。歌会始の翌日は在京の卒業生が80人ほど集まってくれましたし、 3月のサロンド附設イン久留米では古いOBたちからご招待をうけ感激しました。 皇居ではテレビに放映された歌会始の70分のあと「連翠の間」で両陛下からお言葉を受ける30分があり、 昼食の後5人の選者との懇談があって4時近くに退出しました。附設に来て28年が過ぎましたが、 最近は毎朝高良山にのぼり元気です。では。
大津留 敬
(97/04/12)

西原 和美 先生(1974-)
西原先生からの音声によるメッセージ(RealAudio 3.0)
(97/09/24)


 「男く祭」のとき猿田彦研究会を作って民俗学の研究誌を出していた梅野光興氏 (中7回生・高29回生・高知歴史民俗博物館学芸員)の研究発表を高知に聞きに行ったとき、 高知城の板垣退助の像から拓本をとってきました。 「板垣死すとも自由は死せず」のあの言葉が本校の文化の祭典にはよく似合うような気もしますがーー。 なお梅野氏は1996年度の日本民俗学会奨励賞を受賞されました。(西原)

(97/04/12)

白水 孝典 先生(1984-)
 未だに、サッカーの顧問を続けています。現在は、高校サッカー部を見ていますが、J リーグ効果のせいか、全体的なレベルが上がってきて、1・2年生だけで春の大会を勝ち 残るのがかなり難しくなり、昨年の春に4部落ちしたと思ったら、今年の春も1勝しかで きず、とうとう5部に転落してしまいました。40回生、42回生、45回生と県大会に行けそ うなチームは何回かはできたのですが、大会がスキー訓練に重なったり、不運な負け方を したりと残念ながら勝ちに恵まれず、結局、県大会出場も39回生が最後となっています。 (久留米市サッカー協会主催の久留米・三井地区サッカー大会、参加校は明善、小郡他10 校程度通称小郡カップでは、42回生、44回生の時に優勝しましたが。)この雪辱を晴ら すべく、冬の新人戦では5部優勝と県大会出場を目指して、この1年頑張りますので、サ ッカー部のOBの皆さん、暖かい声援をお願いします。               
(97/04/28)

江上 寛二 先生(1970-)
卒業生の皆様お元気ですか?
私も毎日「あっかるく」やっております。
今回は、日常知性に何となくタイクツを感じておられる皆様に次の2冊の本を紹介します。 認識の危機が言われている昨今ですが、皆様はいかがでしょうか。
∴くれぐれも題名だけで判断せず内容を読んでくださいよ・・・(笑)
 FAXまってますよ。
(97/04/26)

中島 健治 先生(1978-)
1996年1月から本格的に走りはじめています。 1996年は年間1600km程走り、10km、10マイル、ハーフ、フルマラソンの大会に1回ずつ出ました。
記録は昨年のNAHAマラソンが3時間47分で無事初マラソンを体験し、今年になって10km(吉野ヶ里)39分58秒、 ハーフ(佐賀)1時間28分23秒と自分としては目標タイムをクリアーできて満足しています。
5月には阿蘇で50kmを走る予定で、やがては100kmもと思っています。
(97/04/26)

中村 一彦 先生(1989-)
新年度の最も忙しい時期に、授業の合間を縫ってわずか数週間で、 コーラス、展示、バザー等を企画、運営、実力する生徒の集中力には驚嘆します。 この潜在力が勉強にも活かされることを期待してます。
(97/04/26)

田久保 千之 先生(1988-)
田久保 千之(たくぼ ちゆき)
・担当教科:英語
・趣味:カメラ店(特に中古カメラ店)巡り
・一番やりたいこと:愛機を下げて、ゆっくり外国へ撮影旅行をしたい。
次の写真は数年前「ヨーロッパ教育事情視察」でヨーロッパを訪問したときのもの。
(人物スナップに絞ってみました。)

(97/04/26)

名和 長泰 先生(1989-)
初めまして。この春卒業した45回生諸君と6年間過しました。受験の朝,校歌を歌って出発したとか, 東大ではコーラス部が「いざ起て戦人よ」を歌ってくれたとか,で,名刺代わりに替え歌を。
「いざ起て附設生よ 現役めざせ 雄々しくすすみて遅るなあだに 歌いてすすめよ  うた声あわせて 潮のごとくに 附設のファイトは われらの守り われらの守り  われらの守り 附設のファイトは われらの守り」
よろしく。
(97/04/25)

合原 俊光 先生(1967-)
合原俊光: 担当教科=英語 担当部署=寄宿舎(舎監長)
      住所=三井郡北野町高良1814ー15 tel=(0942)-78-4243

(同窓生へのメッセージ)

 本校9回生です。卒業後36年、そして、昭和42年母校に着任以来30年の歳月が過ぎ去ったことに今さらながら驚きます。

 在学中の思い出として、当時の板垣校長先生の、 「和して同ぜず」とか「諸君はgentleman にならねばならぬ」という御言葉や楢崎副校長先生の「附設の歴史は未だ若い、 されば、諸君こそが附設の伝統である」という御言葉が強く脳裡に焼きついています。敗戦後間もない社会的困苦と混迷の中で、 国家の再建のために、日本人として如何に生くべきか、自らの信条を吐露されつつ、 必死に後進の養育に専心された両先生の思いが泌々として胸に迫ります。

 着任時の校長原巳冬先生からは、「身を以て誠実努力の範を示すことが教師の基本的姿勢であるべきこと」さらには、 「世のため人のために尽くすことが人生の努めであり、人の世に生きる喜びの源である」という、人生観、世界観の基礎を、 時に慈愛に満ちた御言葉で、時に先生自ら黙々と励まれるその後ろ姿で教わりました。 昭和44年附設中学校の増設に伴い、中/高6ケ年一貫教育が発足し、現在の生徒数は、中学各学年3クラス、計450名、 高校各学年4クラス、計600名、合計約1050名です。教師数もかっての20名位から、50名以上に増えています。

 平成5年、開校後43年を経て最初の母校卒業生の校長として、鹿毛勲臣先生をお迎えしました。先生は本校第一回生で、 母校への愛情、その発展隆盛を祈念される真情は熱烈です。 本校創設に至る歴史的経緯を踏まえられた教育の理想に対する先生の確信には安易な妥協など断じて許されざるところがあります。 先生の指揮統括の下で、全教職員手を相携えて課せられている使命の達成に日々励んでいます。

 皆様ご承知の通り、私学をめぐる社会的環境は厳しく、責務の重大性には身のすくむ思いがありますが、 本校に憧れて入学してくる後輩諸君、並びにその保護者の皆様から寄せられている信託、 さらには同窓諸兄のご期待に応えるべく、与えられた任務の遂行に全力を尽くしてまいりたいと念じています。 (1997, 4, 23 記)

(97/04/23)

佐々木 健治 先生(1967-) <ksasaki@cec.mii.kurume-u.ac.jp>
附設高校の在校生が附設高校という名前を使ってホームページで活動することが 具体的にどのようなことが起きるのかよくわかっていない。 インターネットの影響力におののいてばかりではいけないのでなんとか理解し、 ついていきたいと思っています。 インターネットの恩恵という点では卒業生の諸君と気軽にメールの交換ができることである。
(97/04/23)

栢岡 忠彦 先生(1967-)
物理科の栢岡です。昭和42年からまだ居続けています。ずいぶんと居心地がよいので、 今日まで勤められました。卒業生諸君がいろんな分野で活躍しているのを聞くと今やっている苦労も (苦労らしいこともしていないかな?)ふっとびます。今度は、先生方の激励に学校に顔を出しませんか。 名前は忘れていることが多いので、会ったら必ず名を名乗ってください。 懐かしい顔に会えることを楽しみにします。お互い健康に留意してがんばりましょう。
(97/04/23)

古賀 啓資 先生(1974-)
附設に来て24年目をむかえました。その間たくさんのひとと出会いました。世の中も急速に変化しました。 私のプリントづくりもガリ板刷り→タイプライター→パソコンとめまぐるしく変わりました。 一太郎ソフトもバージョン7になりました。(もう8だそうです)。 58才の私には、この変化についていけそうにありません。情報の洪水にも流されそうです。

これから先、聰明な生徒諸君等にささえられながらがんばっていくつもりです。

(97/04/22)

松崎 文雄 先生(1981-)
 私、阿蘇郡南小国村で産湯を使い、久留米で幼稚園から高校と過ごし、 大学、社会人として東京で14年間荒波に揉まれ附設生活15年目の男です。 いろんな人と出会い学んできました。出会った方々、友達が財産です。 少しでも役に立つことがあったらと思います。以後よろしくお願い申し上げます。
(97/04/10)

軣 壽男 先生(1991-)
海鳥社 「とどろき先生がやってきた」 \1,600

徳永 徹 先生(19??-) <toku@cec.mii.kurume-u.ac.jp>
 あまりコンピュータ(インターネット)にのめり込むな。
コンピュータはただの道具(電化製品)であるべきだ。
使えて当たり前だが、それ自体が目的になって時間を食われてはいかん。

47回生の数学についての作文(97/08/21)

附設生ホームページに戻る

47回生 笹尾 卓宏, 49回生 脇元 隆次 / webmaster@fusetsu.club.or.jp