第28回男く祭記念文集 [ 目次 | 前のページ | 次のページ ]

「ロンゴってなんだろう?」私の論語論

48回生  松本 貴裕

前文
「ロンゴ」つまり中国時代の書物『論語』です。現在『論語』と聞くと、中高生では「論語」+「孟子」+「大学」+「中庸」=「図書」なんて数式が頭に浮かんでくれば良いくらいです。また、最もよく知っている人は「漢文の『子曰はく・・・』ってやつですよね。これは・・・。」とか、原文の内容と解釈までセットで取り出し、「これって『仁』・『忠恕』の教えを説いた“孔子”の言ったことですよね。」とわざわざ論語の本質まで述べてくれるぐらいでしょうか。(本当に言えたらすごいと思いますが・・・。)それとは反対に、「なんだ今ごろ『ロンゴ』なんてあんなの過去の遺物じゃないか。」と一蹴してしまう人もいるかもしれません。前者はまだ興味やある程度の知識があるだけ幸福だと思います。けれども後者は少し考えかたのねじをククとまわして欲しいと思います。いやまわしてあげましょう。

・論語の「仁」とは?
私は教科書などを読んでいてまず思うことは「『仁』・『忠恕』とはなんぞや?」ということです。と、いうことで広辞苑を引用しますと「仁:孔子が提唱した道徳観念。礼に基づく自己抑制と他者への思いやり。忠と恕の両面を持つ、儒教の道徳思想の中心にすえられ、宋学では仁を天道の発想とみなし、一切の諸徳を統べる主徳とした。封建時代には上下の秩序を支える人間の自然的本性とされたが、近代、特に中国では万人の平等を相互的な倫理とみなされるようになった。」なんだか本質に振れていないように思えます。「忠恕:まごころとおもいやりがあること。忠実で同情心が厚いこと。」孔子の思想とした「忠恕」とはたして同一なのでしょうか?とにかく、なんかわけがわかりません。実際、特に「仁」ということはすべての儒学者の目指した題材で、「論語」の中で多くの弟子達が「仁」について孔子に問いかけています。ここで、一つ引用してみます。(もちろん書き下し文で。)
(1) 樊遅仁を問ふ。子曰はく、「人を愛す」―――省略―――
(2) 子張仁を問ふ。孔子曰はく「能く五者を天下に行ふを仁と為す。」之を請ひ問ふ。曰はく「恭・寛・信・敏・恵―――省略―――。」
[解釈](1)読んだとおりそのままの意味です。
(2)子張が仁の道を孔子に問うた。孔子が告げて曰うには「能く五つの徳を身 に修めてこれを天下に行うのが仁である。子張がその五つを問うた。孔子が
告げて曰うには「五つの徳とは恭・寛・信・敏・恵である。―省略−」 *恭・・・よく自分を取り締まっ
て放漫に流れない *寛・・・心が
大きくて人を容れる度量がある。
*信・・・偽らない *敏・・怠たらず勤める。
* 恵・・・人が皆、恩を感じるほ
ど恩が厚い。
「おいおい、二つともいってることが違うじゃないか」と言いたい人が大勢いるのではないかと推察できますが、私もそう思います。けれども、孔子が弟子の曾参に向っていった言葉はすべてを氷解させるものです。
(3) 子曰はく、「参、吾が道は一を以って之を貫く。」―――省略―――
[解釈](3)読んだとおり、すべての根底に流れる真理は一つであるということである。
そうです。つまり違うように見えた二つの孔子の言葉は、根底では一本につながっているのです。それに気づくとき、それが「仁者」と呼ばれる人間に自らが到達するときなのです。孔子は、常に弟子に「仁」に志すことに努めさせようとしたことからも、「仁者」の「仁」の重要性がわかります。
(4)子曰はく、苟(まこと)に仁に志せば悪なし
[解釈](4)その心が誠に仁に向えば必ず悪をすることはない。
そして「仁者」とは何者で、どんな人なのか?というと、
(5)子曰はく、惟(ただ)仁者のみ能く人を好み、能く人を悪(にく)む。
[解釈](5)好んだり悪んだりする心はだれにでもあるものだけれども、多くの人は私情を伴うから、好んだり悪んだりすることが道理に外れるものである。独 り仁者は心が公平であるから能く好むべき人を好み悪むべき人を悪むのである。
つまり、「仁者」は私利私欲がなく、一点のくもりもない鏡のような心を持っている人なのでしょう。さて、これを知ったからといっても、「仁」を理解したとは言いえません。かといって「『仁』を我が物にしてやろう。」と構える必要もないのです。「仁」はどこか遠くにあるものではなく自分の心中にあるものです。それをどのように導き出すかが問題なのです。
(6) 子曰はく、仁遠からんや。我仁を欲すれば斯に仁至る。
(7)―――省略――― 一日も己に克ち礼に復れば天下仁を帰(ゆる)す。仁を為すこと己に由らんや。」
―――省略―――
[解釈](6)仁は心の徳で、外に在るものではない。人は棄てて(自らの私情を放棄して)これを求めないから遠くにあるのだと思うのであって決して遠くにあるも
のではない。自分が求めようと思えば心に応じてすぐに至るものである。
(7)―――省略―――仁は天下の人の心に同じく備わっているものだから、誠に能く一日の間でも己の私欲に打ち勝って礼に返れば、天下の人が皆、吾が仁を許すほど、仁の効果は絶大である。このような仁を行うのは自分自身の修行によることで、他人に関係あることではない。
「仁を為すこと己に由る。人に由らんや。」ということです。「仁」は自己修練の結果として得られる(もとい、気づく)ものでありましょう。「論語」内の「仁」のコンセプトはご理解いただけたでしょうか。なお、「忠恕」は前文(3)の文の続きにおいて、曾参が答えています。
(3) のつづき ―――省略―――曾子曰はく、「夫子の道は忠恕のみ」
[解釈](3)曾子が曰うには「先生(孔子)の道は忠恕の外にありません」
つまり根底に流れる一つの真理とは“忠恕”に外ならないのです。

論語の中の孔子
さて、ここで孔子が弟子に与えたアドバイスを引用して
みましょう。弟子の子路が孔子に「善行」について質問
しました。
(8) 子路問ふ、「聞くままに斯(こ)れ諸(これ)を行はんか。」子曰はく、「父兄の在るあり。之
を如何(いかん)ぞ其れ聞くままに斯れ之を行
はん」・・・
「解釈](8)子路が孔子に問うて曰うには「人から善いことを聞いたならばすぐにこれを行ってよろしゅうございますか」孔子「家には父兄がいる。父兄に相談しないで行うと、反って義を破る。どうして聞いて直ちにこれを行ってよかろう。」
つまり、「善行」と自分が思ったことは、まず父兄に相談してから実行しなさいということです。また、同じ質問を弟子の冉有が孔子にしました。
(8)のつづき 冉有問ふ、「聞くままに斯れ諸を行はんか」と。子曰はく、「聞くままに斯れ諸を行へ。」・・・
[解釈](8)冉有が問うて曰うには、「人から善いことを聞いたならば直ちにこれを行ってよろしゅうございますか」と。孔子「聞いたならばすぐにこれを行え」
孔子の再有に対するアドバイスは「善行」と自分で思ったことはすぐにでも実行しなさいということですが・・・。「あれあれ?」と不思議に思われてきます。なぜなら孔子の言っていることは全く正反対のことなのです。先ほど似た事例((1)(2)の仁についての質問と応答)がありましたが、これはまだ「一つの真理」によってつながっていることは理解できますがこれは一つの真理論ではなっとくができません。弟子達の中でも同じ事を疑問にもったものがおりました。その人の名は公西華といいますが、この矛盾を指摘した彼の質問とそれに対する孔子の答えを見てみます。
(8) のつづき 公西華曰はく、「由や問ふ、『聞くままに斯れ諸を行はんか』と。子曰はく、『不敬の在るあり』と。求や問ふ、『聞くままに斯れ諸を行はんか』と。子曰はく、『聞くままに斯れ諸を行へ』と。赤やと惑ふ、敢へて問ふ。」子曰はく、「求や、退く、故に之を進む。由や人を兼ぬ、故に之を退く。」
[解釈](8)時に公西華は孔子が同一の問いに対して異なる答えをしたのをみて、疑いを起こして問うて曰うには、「由(子路の名)が『人から善いことを聞い たならばすぐにこれを行ってよろしゅうございますか』とお尋ねしたのに先生は『父兄がいる』とお答えになり、求(再有の名)は『人から・・・』とお尋ねしたのに、先生は『聞いたらすぐにこれを行え』とお答えになり
ました。赤(公西華の名)は惑いました。お手数を顧みずお尋ね申し上げます。」孔子「求は性格が柔弱で引込み思案なので、これを進めて勤め行うようにさせたのである。由は性格が剛強で、勇気が大変あるので、とか
くやりすぎり傾向があるから抑えさせたのである。」
つまり、弟子の性格に合わせて適確なアドバイスを孔子は与えていたのです。孔子と弟子のやり取りにこのようなパターンが多く見られます。孔子は弟子の欠点をどうにかしてうまく更正させようと努力しているわけです。教育者として、政治や治国の世界から身を引いた彼は常に弟子のことを気にかけいかにしてその各人の才能を伸ばし、いかにして儒学の真髄ともいえる「仁」などの道理を身に付けさせることができようかと日々精進していたのでしょう。最近問題になっている“教育問題”や数々の問題の要因ともいえる“教育の画一化”などは彼に見習うべきところは多いのではないでしょうか。教育者としての孔子の姿は現在でも通用するものです。論語の中での孔子には“教育者”としての色彩が濃く表れているのです。

論語の中の隠者達
論語の中には多くの“隠者”と呼ばれる世捨て人が出
てきます。彼らの孔子に対する態度は一様に同じです。
少し引用して見ますと
(9) 子路石門に宿す。農門曰はく、「いづれ自(よ)りする。」子路曰はく「孔氏自りす」曰はく、「是れ、其れの不可なるを知りて之を為すものか。」
[解釈](9)子路が孔子にしたがって天下を廻り歩いた時に、たまたま石門という場所に宿った。その地の門番が「どこから来られたか」と問うた。子路は「孔 氏から参りました」と答えた。門番はこれを聞いてそして曰うには「孔子とは道の行われないのを知りながら方々を歩き回って道を行おうとする男か。あなたもそのお供をしてご苦労なことだ」
門番の姿を借りていますが彼も隠者の一人です。論語の中に出てくる他の隠者達も同じようなやりとりを(ほとんど同じパターンで)弟子達と交わしています。彼らに一貫していることは「『道』などという実践不可能な理想を諸侯に説いてまわるとは世間に執着している証拠だ。認められないならば潔く身を引くべきだ。」という主張です。孔子はこのような皮肉的な批判に甘んじて受け入れていたのでしょうか?「認められなければ身を引く」という生き方に確かに孔子は憧れていました。例えば次のような孔子の言葉も残っています。
(10)―――省略―――子曰はく、「果なるかな。之を難しとすること末きなり」
[解釈](10)孔子がこの語(省略部に隠者の皮肉的な批判が記されている。(内容は(9)とほぼ同じ)を聞いて、嘆息して曰うには、「誠に思い切りのいいことだ。
このように世の中を見限って己一人を潔くすることは難(かた)いことではない。」


松本 貴裕(まつもと・たかひろ)

現高校2年。

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