第28回男く祭記念文集 [ 目次 | 前のページ | 次のページ ]

ある独り言

47回生  塙 晋

 なにぶん文章を書くのが苦手なもので、自分の意図するところがうまく伝わらないかもしれませんが、せめて僕の思いの一片でも感じ取っていただければ幸いです。
 ズバリ、僕がこの文章で皆さんに言いたいのは、もっと心に優しさとゆとりを持って他人に接してほしいと言うことです。こう書くと、皆さんのほとんどが「当たり前だ」と思われるかもしれませんが、最近僕は真剣にそう思っているのです。
 列をつくっている時に強引に割り込む人、そしてそれに対して文句を言う人、または明らかに他人を傷つける言動をする人。こういう人たちを見る度に、「なぜもっと寛容になれないのか?なぜそんなにも簡単に人を傷つけることができるのだろうか?」と思います。人を傷つけても何も得られません。そればかりか逆に人間関係を悪くするだけです。そうするくらいならば逆に、進んで人を喜ばせるようにするべきでしょう。例え「自分を抑えてつけて」でも他人を喜ばせるべきだと僕は信じています。
 こういうことをある友人に話したら、「自分を抑えていると辛くないか?」と尋ねられました。その答えは"NO"です。なぜなら、他人を喜ばせることこそ自分自身の最大の喜びであり、「自分を抑えつける」ことによってもう一段高次の「自分」の望みを達成しているのですから。だから僕は、できればこういう意識を皆さんに持っていて欲しいと思っているのです。
 この考え方は墨子の兼愛説に通ずるものがあると思います。即ち他人全てを平等に愛し、自分は後回しにするべきだという説です。この説は当時中国の諸子百家時代に於いて最も勢力が強かった説であり、当時は儒教なんかをも圧倒していました。その後儒教にとってかわられることになるのですが、その理由は想像に難くないでしょう。あまりにも理想的すぎる説だからです。理想的すぎて、全体としてその社会には適応しなかったのです。それじゃ、前半述べてきたようなことは不可能なのかというと、僕はそうは思いません。
僕は、こういう個人の内面意識の問題は、あくまでも個々人の問題であり、〜説のように一くくりにして社会全体に当てはめることはできないと思っています。いや、当てはめる必要もないのです。ただ個人各々が「人を傷つけたくない」とか「寛容になろう」という意識を持てばいいのです。それを敢えて他人に押しつける必要はありません。これは宗教・民族等の争いには何の解決にもなりませんが、それでいいのです。宗教・民族の別よりももっと根本的なもの。即ち人間が本能的<3文字傍点!!>に知っている最低限の倫理を持っていて欲しいのです。(あくまでも「持つ」であり、仕方のない場合も当然あり得る。)そうすれば、民族紛争は無くならなくても、少なくとも政治家や官僚の汚職はなくなるのではないでしょうか。それさえもできないというのであれば、悲しいことです。


塙 晋(はなわ・すすむ)

現高校3年。

第28回男く祭記念文集 [ 目次 | 前のページ | 次のページ ]

Copyright (c) 1998, 塙 晋, 第28回男く祭記念文集制作委員会, All rights reserved.