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大学時代の過ごし方についての極めて個人的な一考察

35回生  住友 一仁

 「自由に書いてください。形式も自由です。」と言われ、原稿を受ける約束をして電話を切ってから、はたと困ってしまった。「何でも書いてよい。」ということは、「書くことについて何のヒントもあげないよ。」というのと同じ。作文するときの軸足を定めるのが難しいと、なかなか筆が進まないものです(仕事のことを書くという選択肢も考えましたが、「交通安全対策の現状と問題点」について滔々と述べたところで、面白くもなんともないでしょう)。
 そこで、今回は、自分自身未だに「ずいぶん無駄をしたな」と思っている、大学時代の過ごし方について少しばかりお話をしたいと思っています。とりとめのない話になりそうなので、明確に問題意識を持って大学へ行こうと思っている人は、どうぞ飛ばしてください。

1 何でこの大学へ行ったのか?
 私は、東京大学の文科U類に入学し、教養学部の国際関係論分科というところに進学したのち、警察庁に入りました。
 大学を受験するときは、一部の大学を受験したり、推薦入学という方法を採らない限り、普通は面接がありません(これも不思議といえば不思議な話ですが)。だから、という訳でもないですが、なぜ自分がこの大学、この学部を選択したのか、今問われても正直よくわかりません。高校にいるときは、特に弁護士になろうとか、官僚になろうとか、学者になろうとか、明確な目標もなく、ただ、「大学に進学すれば何とかなるだろ」位にしか思っていませんでした。
 しいて志望動機を挙げるとするならば、「東京に帰ることができること」でした。東京生まれの私として、小学校入学以来12年間を大阪、福岡で過ごし、「いつか東京に戻りたい」というのが、当時の最も大きな夢でした。なんと近視眼的なものの見方なんでしょうか。文科U類を選んだのは、「入りやすそうだから」。それだけです。別に経済学のスペシャリストになろうとも思わなかったし、特にそれ以外にも学問的な理由はありません。ただ、早く東京に戻りたかったので浪人はしたくなかった、というのが「学部選択の理由」でした。やはり近視眼的な考え方です。 私は役所に入ってから、留学の機会に恵まれ、アメリカの大学院に願書を提出する機会がありましたが、どこでも大量のエッセイを要求されました。エッセイ(小論文)は、ほとんどが「将来の目標と大学院で学ぶこととの関わり」に関する内容でしたから、日本でも大学入試に同様の問題が出題されていたら、間違いなく不合格だったでしょう。面接もエッセイ提出も求められてないおかげで、無事東京に帰ることができました。

2 大学で何を学んだか
 興味のもてない授業が多く、ほとんど学校に行きませんでした。学校にいってもクラスメートと雑談するのが主たる目的で、特に3年、4年は、トータルしても1ヶ月分位しか授業には出なかったと思います。それでも教養学部の試験というのは、多くがレポート提出や試験一発の「楽勝」なものだったので、卒業に必要な最低単位数を何とか確保し、4年間で卒業しました。
 私の大学生活は、おおむね「吹奏楽」、「ジャズ」、「ゲームセンター」の3つの言葉で語り尽くせます。ほんのたまに授業に出る以外、吹奏楽(オーボエ)の練習をしているか、ジャズ喫茶(3年生になってからは、公務員試験の勉強場所でした。)にいるか、レコード屋でジャズのレコードを漁っているか(おかげで今やCD、レコードあわせて3000枚程度あります。引っ越しが大変です。)、ゲームセンターで時間つぶしをしているか、どれかでした。明確な目的意識を持たない大学生活とはこんなものです(それはそれで楽しかったのも事実ですが)。



3 個人的経験に基づく附設生へのアドバイス
 このような、自らの学生生活に基づいて、「反面教師」として、これから大学進学を目指す人たちへの若干のアドバイスをするならば、以下のようになります。
 高校生の時期から、漠然とでも将来の目標を定めるとともに、青写真を描いておくべきです。どうも、日本の大学自体が、前にも書いたように、将来の目標を問う内容となっていないことに、そもそもの問題があるようにも思いますが、そこは自らの努力でカバーしましょう。受験勉強中であっても、「自分は何のために○○大学○○学部へ進学するのか?」問題意識を持ち、自分の志望する大学が将来のプランの中でどのように位置づけられているか、吟味すべきです。これが十分でない場合、大学に進学してから目標を見失って、キャンパスを右往左往し、結局何もしないまま、就職、という状況にもなりかねません(有名大学を卒業しているだけで、身の振り方をどうしようとも、何とかなってしまうことも、これまた問題なのでしょうが)。
 善し悪しは別としても、東京のいわゆる名門高(Kで始まる西日暮里にある学校など)の出身者は、一般的に私たち地方出身者に比べ、このような「将来へのビジョンとそれに向かっての人生設計」という観点から見ると、大学入学当初から一歩も二歩も先を行っている感じを受けました。司法試験や国家公務員試験を当面の目標としている彼らにとって、大学進学は新たな挑戦へのスタートに過ぎないのでしょう(そして、多くの場合、司法試験や公務員試験をパスすることもまた、将来のエリートになるための通過点に過ぎないわけです)。

4 さいごに
 本来、このような問題点は制度的に見直されるべきものなのですが、一向に改善の進まない我が国の文教政策の現状を考えると、そんなものを待っていては、学生生活が終わってしまうでしょうから、自己防衛のための措置として、高校生の時期から前に述べたようなことを実践していて損はしないはずです。私の場合は、漠然とした危機感から、3年生になって公務員試験の勉強を始めたのが、今こうしてみるとせめてもの救いでした。大学入学したとたんに自由に溺れて、とたんに「燃え尽きて」しまったのでは、何のために苦労して進学したのかわからなくなってしまいますよ。


住友 一仁(すみとも・かずひと)

昭和62年3月 久留米大学附設高校卒業
同年   4月 東京大学文科U類進学
平成 元年4月 東京大学教養学部国際関係論分科に進学
平成 3年4月 警察庁に入庁、愛知県警中警察署係長
平成 4年5月 警察庁交通局都市交通対策課係長
平成 6年8月 警察庁交通局交通企画課付警視(米国留学)
平成 8年8月 神奈川県警察交通部交通規制課長
平成 9年8月 警察庁交通局交通企画課課長補佐(現職)

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