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私の音楽人生

27回生  中島 隆

 この文章を書くように言われて、もう東京に出てきてからの時間の方が長くなってしまったことに気づきました。小学校の六年間、中学・高校の六年間とも長く楽しい日々だったのですが、それらを合わせても会社に入ってからの方が長いのですから驚いてしまいます。当時のことを思い出すというのは、非常に不思議な感じがします。現在の仕事においては、それまでどんな学校に通って何を学んでいようがまったく関係ありませんし、同級生と連絡を取り合うことはあっても普段の生活の中では昔のことはほとんど思い出しません。それでもどこかにあのころ感じたり考えたりしたことと未だにストレートにつながっていると思うことはあります。その一番わかりやすい例として、音楽のことについて書きたいと思います。
 音楽を多少でも意識的に聴くようになったのは、中学に入ってからでした。それまではせいぜいテレビの歌謡曲番組を見る程度で、レコードを買ったりすることもありませんでした。我々の中学生時代というのは一九七〇年半ばですでにビートルズは解散していましたが、彼らの蒔いた種によってようやく若い人たちのための音楽産業が大きなマーケットを形成し始めていた頃です。まずラジオの深夜放送を聞き始めました。日本ではフォークからニュー・ミュージックに移行する時期で、吉田拓郎に続いて井上陽水、中島みゆき、ちょっと遅れてユーミンやチューリップ、かぐや姫も登場しました。彼らはテレビに登場しないというのがかっこよく、ようやく手に入れたレコードを持ち寄って貸し借りしていました。
 私自身はみんなより遅れて聴き始めて急速にのめり込んだんですが、なぜか日本のものよりも洋楽の方が気に入りました。一つにはちょうどステレオ・コンポというのが普及し始め、アンプ、チューナー、レコード・プレイヤー、スピーカーといった各コンポーネントをそれぞれ違うメーカーのもので揃えるという素朴なメカ趣味には舶来ものが似合うような気がしたからかもしれません。中学の終わり頃にはピンク・フロイド、イエス、キング・クリムゾンといったブリティッシュ・プログレッシヴ・ロックの、シンセサイザーを駆使して緻密に構成されたアルバムをよく聴いていました。コンサートを初めて見たのもこの頃で、授業が終わって駅で着替えて福岡まで行って今はなきクイーンのライヴを聴いたのですが、興奮の余韻を残したまま屋台でラーメンを食って西鉄の最終に近い電車で帰ったのを覚えています。
 高校に入ると、イギリス系のロックの堅苦しいぐらいに律儀なリズムよりもルーズなドラムに惹かれて、アメリカのロックへ、さらにはフュージョン(当時はクロス・
オーバーと呼ばれていた)を経てジャズを聴くようになりました。大人っぽさにあこがれていたのだと思います。そのころにはぽつぽつとコンサートにも行くようになっ
ていたのですが、やはり久留米市民会館で行われたジャズ・ピアニストのビル・エヴァンスのライヴの印象は忘れられません。当時我々がよく通っていた喫茶店「バン」
は世界のコーヒーを飲みながらジャズを聴かせてくれるお店で、私はフレンチ・スタイルの「カフェ・アラクレーム」というやつ一杯で粘って、覚え立てのミュージシャンやレコードをリクエストしていました。ビル・エヴァンスは、ベースのスコット・ラファロ、ドラムのポール・モチアンとともに、スコット・ラファロが交通事故で夭折するまでの数年間で作った数少ないアルバムでジャズ・ピアノに革命をもたらしたといわれる人で、リズムのルーズというか自在な波の中にたゆたうようなメロディが「官能的」といってもいいほどで、まさに大人の世界という意味では最高でした。そんな人が久留米まで来ると聞いたときには本当に嬉しかったのですが、さらに驚いたのはそのお店がコンサートを後援しているから一番前の通路に置いた折り畳みの椅子で見せてあげると言われたことでした。本当に目の前にビル・エヴァンスがいて、指の動きまで見えました。今考えるともう体調がおかしくなり始めていたのかもしれませんが、姿勢は悪いし手の動きも自己流という感じでおかしいにもかかわらず、出てくる音が素晴らしいというのが不思議でした。大学の時にもう一度来日することになっていたのですがその直前に亡くなって、結局あれが日本で最後の公演になったのです。
 その後もいろんな音楽を聴き続けています。アメリカのジャズ・ミュージシャンたちの関心に導かれてブラジルの音楽も聴くようになりましたし、ヨーロッパの各地にもビル・エヴァンスの末裔といわれる魅力的なピアニストたちがたくさんいます。他にもヨーロッパのジャズ・ミュージシャンと韓国のシャーマンたちのコラボレーションといった刺激的な音楽がいたる所にあって、音楽を通じて世界を身近に感じるということが自分にとって欠くことのできない大切な一部にまでなっています。
 年代によって好みはどんどん変化して随分と遠くまで来たような気でいますが、それはやはりあの頃に一つの芽があって何も変わっていないのかもしれません。


中島 隆(なかしま・たかし)

1960年、福岡県山門郡三橋町生まれ。
1973年、久留米大学附設中学入学(5回生)。
剣道部。
1979年、東京大学文V入学文学部社会心理学科。
1983年(株)講談社入社「小説現代」編集部を経て、
      現在「群像」編集部。

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