第28回男く祭記念文集 [ 目次 | 前のページ | 次のページ ]

第28回附設高校男く祭おめでとう

39回生  脇 裕典

 卒業生として、附設高校の心意気が脈々と流れ続けているのを誇りに思います。
 さて、各方面の卒業生の主張とのことで執筆依頼を受けましたが、大それたことを言うにはまだまだ若輩の身であるので、素直に日頃感じていることを記すことにします。

●社会人になって
 去年の6月から一社会人として東大病院に勤務してそろそろ1年が経過しようとしている。世の中でよく研修医は忙しいと耳にしていた。実際に働きだしてみると、今まで想像していた「忙しさ」とは質が違うということを感じている。学生時代と比較して時間の使い方が全く変わってしまった。つまり、自分の時間を自分以外のものに律せられることが多くなった。
 私は以前から、何事も計画することが好きであった。比較的几帳面な性格から、学校での勉強など、細かく計画を立てたものだ。去年、医師国家試験を受験した際には、膨大な記憶すべき事柄と、失敗できないプレッシャーとに挟まれ、大いに苦痛を感じつつ勉強した。しかし、今になって振り返ると、自分で何をなすか自由に計画を立て、それを実行し、勉強に疲れた時には自由に休むことができた時期であった。
 病院で働き初めて感じたのは、社会人として病院という一つのシステムに組み込まれ、患者、看護婦、上級の医師など多くの人々の中で共に働いている以上、どんなに疲労していても、患者さんの急変時には働かなくてはならず、周囲の人々への負担を最小限にするよう、努力する義務がある。自分で好きな様に過ごせる時間もかなり減った。絶対的な時間の不足から、以前の様には思い通りに自分の計画が進むことも少なくなった。
 しかしながら、周囲からの束縛が増えたとは言え、社会人としての喜びを大いに感じるようになった。周囲のために働かねばならぬということは即ち、周囲が自分を必要としているということである。自分が動かなければ、病院というシステムが働かなくなる。一つの小さな歯車ではあるが、実際に自分が実社会に参加し、社会から受けている恩恵を労働という形で還元しているという実感が湧く。
 学生時代は自由だ。御両親に働いて養ってもらっているお陰で、君たちには長いモラトリアムがある。人生の中でこれ程パワフルで、自由な時間は他にないだろう。私は余りそれを意識することなく、その時代を過ごしてきたと思う。君たちには是非、この貴重な時期を将来に備え、自分自身を磨く時間に当ててほしい。人生後になって分かることは多いとは言え、私は最近、眼前のことに囚われるだけでなく、長い目を持って、今自分が全体の流れの中でどこに位置しているかを意識しつつ今を過ごせればと思っている。その為には、すでに様々な経験を持つ先輩の話に耳を傾けるのがよいのではないか。これは君たちへのアドバイスであると共に、私自身への戒めとしたい。そのような眼でこの文集の先輩方の経験を眺めてみてはどうだろう?

● 幸せな死とは
 私は職業柄、人の死に接する機会が少なからずある。誰もが死ぬのは初めての経験であり、死に対し畏れを抱いているようである。また死に方も様々であり、ほとんど苦しまない人もいれば、かなりの苦痛に対し、鎮静剤、鎮痛剤をやむを得ず用いる場合もあるようだ。しかしいずれの死に方にせよ、むくみがきたり、黄疸が激しかったり、余り美しい死に方というものはなさそうである。このような死に接する度に思うのは、果たして自分が幸せに死ぬためにはどうすれば良いか、と言うことである。
 生死という言葉にもあるように、死を生と対立するものであると考えがちであるが、死は何十年間の生の最終局面であり、即ち生の一部である。従って、幸せな死には幸せな生が不可欠であろう。自分が死に逝く時どのように生を振り返るか、或いは振り返ることが可能かどうか想像もつかないが、少なくとも常に幸せに生きることを心がけようと思っている。

●自分を振り返ること
 忙しい日常に、或いは安定した日々の日課に身を任せていると、つい日常の自分に安住する形で自己のidentityを問うことを忘れがちになる。
 私は医学部を卒業する学年になって、自己のidentityに対する疑念が沸々とわきあがり、随分と考え込んだことがある。全学生時代が終わり、社会人になるという節目の時期だったし、授業もなくなり時間の空白ができたためかと思われる。今でもその疑問が解決したわけではなく、おそらく生きる限り問い続けなくてはならない疑問であるから、そう簡単に答が出るはずはなかった。
 振り返ると私はこの類の疑問をその時まで余り持ったことがなかった。疑問を持たないことは楽だ。迷いが無いからだ。自分を振り返ることは苦痛を伴う。解答が簡単には得られないからだ。
 自分らしさとは何か?自分はどのように生きるのか?
 人生の好調不調の波を通じて、幸せに生きていると実感するためには、「他でもない自分の人生を、私はこのように生きる」という自己の意志による選択をしなくてはならないと思う。選択するためにはまずどのような選択肢があるかを意識しないことには、何事も始まらない。そのためには常に苦痛を伴うが、たまには忙しい日常の作業をとめて、自分自身を振り返ることをし続けなくてはならないと思っている。
'98.3.25


脇 裕典(わき・ひろのり)

現在、東京大学付属病院。

第28回男く祭記念文集 [ 目次 | 前のページ | 次のページ ]

Copyright (c) 1998, 脇 裕典, 第28回男く祭記念文集制作委員会, All rights reserved.