第28回男く祭記念文集 [ 目次 | 前のページ | 次のページ ]

楽しい山村暮らし、楽しいむらおこし

28回生  沢畑 亨 (VED04242@nifty.ne.jp)

現場へ出たかった
 愛林館は、水俣市が久木野地区(阿蘇の久木野村とは別!)に建設した山間部のむらおこしの施設で、九四年九月に完成した。市役所の農林畑OBといったありがちな人選ではなく、館長を全国から公募して、私が選ばれて現在に至っている。
 今から十年ほど前の八六年、水俣の人々が、風土と農業をよく調べた農業祭を開催した。その時のマレーシア人ゲストを訪ねる旅にたまたま私(当時は大学院生)も参加したのが、今回の移住の始まりだった。その後も仕事がらみで年に一、二回は水俣を訪れ、水俣から上京する人があれば酒を飲んだりしていた。
 そこへ、愛林館の公募の話である。愛林館の仕事は私の専門分野そのものであること、モノの生産現場から遠い東京での仕事に飽きていたこと、故郷の熊本(ただし水俣出身ではないが)で子供を育てたかったこと、水俣には信頼できる友人が何人かいたことなどから応募することにした。東京都日野市出身の妻は、もちろん迷いはあったが、狭くて高価な東京暮らしよりは全体的に豊かになるだろうと考え、賛成してくれた。

愛林館の仕事
 大きく三本の柱がある。第一に、地元の収穫物を加工し、販売すること。身土不二と日本型食生活が基本だ。すべて地物(塩だけは買うが、いずれ天草産の自然塩にする予定)の味噌、無農薬の梅干し、季節の野菜の漬物、九州産小麦粉のクッキー(日本型食生活ではないが、よく売れるので可)などである。料理も農産物加工の一つではタイの激辛カレー(中身は干しタケノコ、なす、ピーマン、牛肉と水俣のものばかり)、インドカレー(水俣の玉ねぎがたっぷり)、そばとうどん(もちろん地物、朝挽いた粉で打ち、その日に食べる)などを提供する小規模なレストランを土曜・日曜・祝日に営業している。
 次に環境教育。久木野は森(九割が人工林)と棚田でできているが、今の娑婆は農産物も林産物も安くて、生計の柱にするのは難しい。石積みの見事な棚田も、機械化の難しい効率の悪い農地に過ぎず、米は作るより買う方が安い。林業も同様で、林業に金を使うよりも国債を買った方が儲かる。しかし農業と林業には環境上の働きがあり、この二つが崩壊すると、それを修復したり洪水の対策をしたりで膨大な金がかかるので、崩壊させないようにする、つまり農業や林業そのものに対して補助金を出す方が社会全体のコストとしては安上がりなのだ。その点を理解できるイベントを行っている。
 森については、照葉樹林を植える「水源の森づくり」と林業労働を体験する合宿「働くアウトドア」を開き、これまでに3.6haの造林と、日本の人工林で今最も必要である除伐を体験した。棚田については、お決まりの田植え・稲刈り体験だが、来年は一カ月のアルバイトを募集し、草むらになっている棚田を開いて稲を植えてしまおうと思っているところだ。他に、川を歩いたり、蛍を鑑賞したりしている。
 三番目は特に環境にこだわらないイベント。国鉄山野線の線路跡の「日本一長〜い運動場」を走る「しし鍋マラソン大会」や、愛林館の音響の良さを利用したコンサートなど。
 地域の活性化とは、結局のところ、人口が極端に減ったり増えたりしないで何百年も続くむらを作ることだと思う。棚田や森林の働きに社会が正当な評価を与えるまでは、マチで働く給料や年金で生計を立てて、余暇を利用して棚田と用水路と人工林を保全するしかない。そう考えて、愛林館では地元の方々の副収入を得る手段を提供しているところだ。

一千万分の一より三万分の一
 さて、久木野の暮らしで、環境の良さを毎日目一杯楽しんでいるのは言うまでもない。自分で育てた米も、近所からいただいた新鮮な野菜もうまい。久木野は山の中だが海まで三十分なので魚もうまい。仕事の後で温泉にも海水浴にも行ける。仕事のやり甲斐も感じている。
 この辺は予想通りだが、予想外の良さがもう一つあった。それは、水俣市の政策に私の意見を反映する可能性が結構あることだ。私は公務員ではないが、市長や市議から市役所の新入職員まで、顔見知りは非常に多い。イベントを計画・実行する委員とか、市の審議委員とか、いろいろな役を頼まれる。会議で意見を述べ、それが実行に移される場面に立ち会うことは面白い。公式の場でなくても、立ち話とか酒の席とか、市政の第一線にいる人と意見を交換できる機会は多い。
 水俣市の意志決定については、市の総合計画を作る際、公募した市民委員会の出した計画案から重要な概念を取り入れたり、私のポストも全国公募だったりと、最近は風通しが良くなってきていて、今後もこうした機会は増えていくだろう。東京に住む一千万分の一よりも水俣の三万分の一の方が発言力が大きいのは当然のことだったのだ。

聞いてびっくり うわさ話
 もちろん、楽しくないこともある。私が一番困るのは、大きい本屋がないこと。図書館も人口三万の街では小規模なのは仕方ないことで、年に何回か東京に行った時にまとめ買いをしてしのいでいる。
 次に、仕事上の責任と知識を備えたプロが少ないこと。これは役所でも民間企業でも商店でも同じで、たらい回しにされることがよくある。だが、これは異文化なのだから、受け容れねばなるまい。
 それから、どこに行っても知人に会う。スケベな本の立ち読みやエロビデオの借り出しができなくて不便だ。さらに、車のナンバーまで覚えている人が多いので、ラブホテルにはかなり用心して行かねばならない。周囲のうわさ話もうるさい。

過密よありがとう
 でも結局のところ、水俣の暮らしは豊かで、仕事にやり甲斐もあり、東京時代よりも確実に良くなった。今後も住み続けることだろう。東京へは時々リゾートに行く必要があるので、当方が短期間でいろいろ見たり聞いたりできるよう、東京など大都市の居住者の皆さんには、このまま高い密度の街を維持していただきたい。毎日のお勤めご苦労様です。
(以上「田舎暮らし大募集 黄の編」97年12月田舎暮らしネットワーク編・発行に所収)

後輩の皆さんへの付け足し
 高校時代は諏訪野町の自宅から通っていたが、卒業と同時に両親が転勤したもので、それ以来久留米には2、3回しか行っていない。高校の周辺も随分変わったことと思う。校舎のすぐ裏は赤松の林で、5月にはハルゼミがカラカラと鳴いていたのだが、今はどうしているだろうか。時折通過する久留米インターチェンジ付近は水田がすっかり倉庫や工場に変わってしまったようだ。
 私の高校時代は、学校の枠の中から一歩も出ないように自己を規制し、国語の西原先生の言われたように「受験戦争をなるべく軽傷で乗り切る」ことに専念した覚えがある。常時受験の重圧が頭の中から消えることはなく、あまり楽しい3年間ではなかった。当時、2浪の青年が両親を金属バットで殴り殺す事件があったが、あの3年間がさらに2年延長していたら、と思うと他人事ではなかった。
 私の場合、高校時代に学んだことでその後役に立ったのは生物と英語と地理と歴史だった。その他は残念ながら大学に入る役に立っただけだと思う。(これは私の場合であって、他の人には別の感想があるはずだ。)古賀直先生から生物IIを学んだのは十数人しかいなかったが、すべての生物の遺伝子は同じ物質でできていること、「個体発生は系統発生を繰り返す」こと、植物生態学の理論などを初めて学んだときの感激は今でも覚えている。英語はこんなに日常的に使うとは思っていなかったが、外国に頻繁に出かけるようになって本当に役に立った。その英語で、外国人と話をすると日本の文化や歴史の知識がどうしても必要なのだった。日本の戦争責任について、最近の経済行動について、ビジネスの利害関係のない東南アジアの人々(ある時は友人であったり、あるときはたまたま居合わせたレストランの客同士であったり)と議論するというスリリングでパワーの要る体験を、何回も重ねることができたのは有益であった。
 また、外国の人の話を理解するためには、その国や民族の歴史や地理が必要になる。「マレーシアは錫とヤシ油と天然ゴムがよく取れて、多民族国家である」なんて、覚えて何になるのだろうと思ったが、その後のコンサルタント時代にふっと思い出して報告書がよく書けたりした。
 後輩の皆さんには、ぜひエコロジーを意識した生活をしてほしい。水・モノ(食料やら衣類やら)・エネルギーがわが家にどこから来て、どこへ出て行くのか、どう処理されるのか、それを考えるだけの話だ。そして、30歳になるまでに、今後の一生をどこで過ごすかを真剣に考えてほしいと思う。私は食糧危機を横目に、山村で棚田を耕しながらエコロ爺になる予定である。


沢畑 亨(さわはた・とおる)

1961年生まれ。熊本県西合志町出身。農学修士。1年間の西武百貨店勤務、5年間のエコロジー及びむらおこしコンサルタント自営(東南アジア諸国に頻繁に赴く)の後、全国公募された水俣市久木野ふるさとセンター・愛林館の館長に選ばれ、94年11月より水俣に暮らす。「風土・循環・自律を基本とするむらおこし」の活動を実践中。家族は妻子一人ずつ(妻は東京出身、子供は小学一年生)。

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