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遥か遠いパリの空から

34回生  田中 昭彦

 僕は高速道路を東へと走っている。
 遥か遠くに見えていたトラックのテールランプが急速に近づいてくる。左にウインカーを倒し、ゆっくりと追い越しをかける。バックミラーに映るトラックの影は見る見るうちに小さくなっていき、それが見えなくなると束の間の暗闇が訪れる。低くうなるエンジンの音だけが僕を現実の世界に繋ぎ止めている。その暗闇もすぐに対向車のヘッドランプにかき消され、その残像が消えると再び暗闇がやってくる。それも次のトラックに追いつくまでの間だ。−−−こんな光景を何度も何度も繰り返しながら、僕の車は少しずつパリへと近づいていく。パリまで196km、135km、70km、標識の教えてくれる距離が少しづつ短くなるたびに、スピードメーターの数字と見比べ、僕は頭の中で到着までの時間を割り算している。それも眠りに落ちないための一つの頭の体操だ。
 
 冬の良く晴れた夜には、休息がてらトイレしかない小さなパーキングエリアに車を停め、夜空に輝く満天の星をじっと眺めていることもある。フランスの田舎では、たった100kmパリから離れただけで、日本では到底見ることのできない美しい星空が満喫できるのだ。
 
 パリまであと30kmとなったところで、とてつもなく大きな料金所にたどり着く。二つの高速道路の合流点だ。そこから先はもう暗闇はない。道筋は明るく照らされている。
 あと10kmというところで、この道はもうひとつ別の高速道路と合流し、パリへ向かう大きな波となる。何時も車で溢れかえっている。小高い丘に差し掛かると、突然エッフェル塔とモンパルナスタワーが目前に現れる。
 「翼よあれがパリの灯だ」そうつぶやくほど気障ではないが、ああ、パリに帰って来たんだと心からそう思う。帰ってきた、そう、僕は今パリに住んでいて、フランスの電機メーカー向けに電子基板製造用電子部品自動装着機=つまりは産業用ロボットを売り歩いているのだ。
 
 この仕事のためフランスに来て3年半が過ぎた。企業研修生としていた時期も合わせるともう5年近くこっちにいる計算になる。社会人になって丸8年、ベルギーにいた1年も含め、6年間はフランス語圏暮らしだ。大学時代に住んだ東京吉祥寺の街よりも、そして附設に通った久留米での6年間よりも、そろそろパリの方が長くなりつつある。
 とはいえ花の都パリで芸術的な雰囲気にどっぷり浸って毎日の生活を満喫しているわけでもなく、機械油の匂う泥臭い世界で、工場のおじさん相手に機械を売り歩いてる毎日である。多分、一般の日本人のイメージの中にあるパリ、フランスとは最も対極にある仕事をしているのではないだろうか。
 たいていは冒頭の描写のように、300km離れた地方の工場を車で訪問した後、夜の高速をぶっ飛ばしながら家路に就くのである。多いときは1ヵ月に3000km走っていた。或いは朝7時の飛行機に乗って地方の客との9時のアポイントに間に合わせようとする。空港にも自分の出張、出張者の出迎え、遊びに来る知人・友人のアテンドで年に100回以上訪れる。昔は旅行が趣味だったが、ここまで日常化すると、飛行機に乗ってもTGV(フランスの新幹線)にのっても、もはや心が躍ることもない。飛行機に乗るときは離陸前から眠りに入り、着陸するまで一度も目を覚まさずに熟睡する術も覚えた。どうせ国内線では機内食は出ない。失うものは少ないのだ。
 
 事務所では、フランス人に囲まれて仕事をしている。お客も皆フランス人である。日本企業の日本人出向者ということで一応組織責任者だが、部下は全員フランス人、しかもみんな一回り近く年上である。若造のくせに、とみんな心の底では思っているに違いないと思いながらも飄々と切り抜けている。
 不思議なもので、外国人に対しては年上であっても日本人の年上の人と接するのとは違った心構えで接する事ができる。これはフランス語と日本語の構造上の違い、敬語の使い方の違いによるもの、そしてフランス人にとって(たとえ心の底では面白くないと思っているとしても)年功序列という意識が希薄或いは皆無だからではないだろうか。
 日本で10歳も年上の日本人の部下を持っても、きっと叱ったりできないだろうと思う。
 
 日本では良く、フランス人はフランス語に誇りを持っているから英語が話せるのにわざとフランス語しか喋らないというようなことを言われるが、これは全くの誤りである。本当に喋れないのである。
 人を採用するとき、履歴書には皆「英語堪能」とか「読み書き会話OK」等と書いてくるが、−−というかそう書かないと書類選考で落とされるので−−実際に英語で面接しようとすると、支離滅裂になって、聞いていて頭が痛くなるような英語しか喋れないフランス人が多い。フランスに住むフランス人の英語力は日本に住む日本人並みだと思っていい。つまり、喋れる人は本当に上手に喋れるがこれはあくまでも一握りで、普通の人は全く喋れないのである。
 ということで、フランス人と心から理解しあうにはフランス語は欠かせない。しかもフランス語の喋れる日本人はこの業界では希少価値だから、非常に珍しがって貰えるので得をしている。フランス人に覚えてもらいやすいように、仕事上ALAIN(アランと読む。アラン・ドロンのアラン)と呼ばせている。昭彦のイニシャルのAからとったものだ。時々「田中さんてハーフですか?」と聞かれることがある。2回に1回はそうですと答えることにしている。
 
 時々、今時分はこんな所で何をしているんだろうと、不思議な感慨に襲われることがある。それは決して悪い意味ではなく、運命のいたずらにただただ呆然とするのである。
 
 フランスで仕事をすることは、自ら選んだ選択肢ではなかった。しかし、妙にはまって気に入っている自分が不思議なのだ。
 
 比較文化の見地からすると、フランスで生活するというのは日本を見詰め直す意味で非常に興味深い体験だと僕は思っている。欧米=アメリカだと思っている多くの日本人、そしてそのアメリカ的価値観から日本のシステムを非合理的だと批判的に見てしまいがちな海外を知ったつもりで良く知らない知識人にとっては良くできたアンチテーゼである。フランスのように普遍的な精神を追い求めながらも(自由・平等・博愛というのはフランス革命の精神であり今でもフランス共和国の国是である)、現実には多くの歴史的、土俗的、地縁血縁的しがらみ−−それこそが文化なのだが−−があって物事が合理的に進まないさまを見ていると、日本もフランスも同じだなと思えてくる。そしてそれは至極当たり前のことで、程度の差善悪の別こそあれ何事も合理的にばかり進むはずがないじゃないかという気になる。絶対的で普遍的な価値観なんてありえないのだ。そう考えると非常に楽になる。
 
 最近、田中はフランス人のようになってしまった、という声を、ポジティブな意味でもネガティブな意味でも良く聞く。それは現地にどっぷりと溶け込んでいる、或いは溶け込むことができているという意味あいのものと、それ故に普通の日本人のものさしからどんどんと外れた、理解不能な人間になっていると言う意味のものと両者ある。
 「日本に帰ったら苦労しますよ」という意味合いのことを言われる。でも僕自身はあまり気にしていない。フランスに適応できたのだから日本にまた適応できないわけがない。日本人としてのアイデンティティを失ったわけでもない。勿論性に合う合わないの問題は残るけれども。
 
 これからあと何年フランスにいることになるかわからないが、もう暫く、完全な浦島太郎になってしまわないように気をつけながらも、こちらでの生活を楽しみたいと思っている。


田中 昭彦(たなか・あきひこ)

一橋大学社会学部卒
松下電器産業株式会社所属
フランス松下電器株式会社出向

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