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四国の博物館から−いざなぎ流をめぐって−

29回生  梅野 光興

 私は、四国の太平洋側にある高知という所で、歴史系博物館の学芸員をしている。高知市は、大きな本屋もない片田舎である。市街地には市電が走り、JRは単線で電化されていない。民放のテレビ局はようやく1年前に3局目が開局したばかりである。都会とのはなはだしい情報格差。最近とみに都市化が進んだ福岡と比べればその差はますます開くばかりである(天神の変貌には愕然とした)。だが、毎日が退屈というわけでもない。それ
は単に仕事が忙しいということではなく(それもあるが)、このような地方にあっても、「情報」はふんだんにあるからだ。もちろんそれはメディアによってたれ流されるような、一般に流通しすぎ、そのために価値を摩耗してしまった希薄な「情報」ではない。まだ誰もアクセスしたことのない、自分がはじめて出会う濃密な「情報」。それは一見何もないような山間のの過疎の村やわびしいたたずまいの海辺の村に潜んでいる。私たち学芸員の仕事は、このような埋もれた情報の世界を見いだすことなのである。       
[いざなぎ流の森深く]
 そんな情報の束の例として、私がこの冬企画展を行なった「いざなぎ流」という民間宗教を取り上げてみよう。いざなぎ流は、宗教とはいっても、教祖のもとに信者が結集する現代の新興宗教のようなものではなく、日本の伝統的な民間信仰が凝縮した姿で今に残ったものである。かつては日本各地に同様な信仰があったが、時代の変化に従って消え去ってしまった。それが四国の山奥の村に奇跡的に残されたのである。
 いざなぎ流には、山の神や水神、家の神や天体神(太陽と月)を祭る神祭りの方法、病人にとりついた悪魔外道の者を排除する病人祈祷、作物を食べる虫を除去する虫祈祷や、雨乞いなどさまざまな宗教儀礼が伝えられている。その内容は複雑で、マスターするには十年はかかるとされている。そのような方法が残ってきたのは、「太夫」と呼ばれる専門的な宗教者が師匠から弟子へと、この秘密の方法を守り伝えてきたからである。私も、はじめて太夫に会って話を聞いたときには、その内容の複雑さと神秘的な世界に、頭がくらくらしたことを思い出す。しかし、だからこそいざなぎ流の世界を知りたいという思いが大きくなっていったのである。
 だが、いざなぎ流にアプローチするにはさまざまな困難があった。たとえば、いざなぎ流の家の神の大祭は、毎年定期的に行なわれるものではない。何年、何十年かに一度個人的に行なわれるものである。しかもここ数年、過疎や生活の変化によって、祭りの数は極端に少なくなっている。個人的な祭りなので情報も流れにくい。ふだんから村人に連絡を取ったり、祭りの季節である冬が近づく頃、物部の村々を歩いて情報を集めるしかなかった。ひと冬に三つも大祭のあった年もあったが、一度も行なわれない年もあった。それでも五年ほど通ううちにいくつかの祭りを見ることができた。
 このようなこともあった。物部村の家々には、天井裏やふだん人目にふれない所に仮面をまつる家がある。仮面は一年に一度の祭りの日(多くは十二月二十八日や正月)に黒い箱から外へ出されるだけで、ふだんはしまってある。仮面を見るには、年に一度のその日にその家を訪れなければならないし、たとえ訪れても神様(仮面のことである)の許可が出なければ写真を撮ることも許されない。これまで何人もの取材の申し込みがあったが、たいてい断られたということであった。私は、その家に何年か通い続け、二、三年目にようやく神様の許しをもらったことがあった。
 このような調査は、コンピューターにアクセスし、即座に情報を入手することのできる現代社会からみれば、まことに無駄の多い、浮世離れしたものであるように思われるかもしれない。しかし、このような方法でなければ得られないことも、まだ世界には数多くあるのである。私たちは情報過多の現代にいるため、書物やインタ−ネットの中に世界の全ての情報があるかのような幻想を抱きやすい。しかし、まだまだ文字になっていない世界は膨大である。そして、苦労して手に入れた情報の重みは、たやすく手に入る情報の重さとは異なっていることは言うまでもない。
[呪いの世界]
 このような情報にはどのような意味があるのだろう。引き続きいざなぎ流を素材にして考えてみよう。
 いざなぎ流は、「呪い」の方法が伝えられていることで注目を集めてきた。「呪い」というと、いかにもまがまがしい。最近映画化された『リング』『らせん』は、呪いのビデオを見た人が次々に死んでいくという内容で、私も見に行ってふるえあがった。だが、いざなぎ流の呪いは、『リング』のような死者の呪いではなく、生きている者が恨みに思う相手を呪うための方法である。「呪い」の技術が伝わっているということで、いざなぎ流がダークなイメージをもたれるとともに、物部村自体を陰惨な社会であるとみなすこともあった。いざなぎ流は、邪悪な信念をもったオウムのような集団なのだろうか。この問に答えるためには、いざなぎ流の内部論理に分けいって「呪い」の意味と機能を考えていく必要がある。
 小松和彦氏らいざなぎ流の研究者によってわかってきたことは、呪いを行なうには、「式王子」という暴力的なパワーをもつ神霊を操作して、相手を攻撃するという方法が中核になっているということである。では「式王子」は悪なる存在かといえば、そう単純ではない。たとえば、ある人に悪い妖怪がとりつき病気になったときにも、いざなぎ流の宗教者は、その悪い妖怪を追い出すために「式王子」をあやつるのである。病気をなおす病人
祈祷の切り札が式王子なのである。式王子は、善にも悪にもなる両刃のやいばである。式王子を善に用いるのも悪に用いるのも、太夫の良心にかかっている。このような状況で強く言われるのが、太夫のモラルである。
いざなぎ流の太夫たちは、「呪い」は悪いことだから行なってはならないと繰り返し強調する。人を呪えば、子孫が絶えるとさえ言うのである。式王子の呪術を教える場合は、弟子の気質をみて教えるようにするともいう。いざなぎ流自体が邪悪な信仰なのではなく、それを悪用したときはじめて邪悪なものになるのである。
やってはならないのであれば、式王子など存在しなければよいと思うが、それでは病人祈祷のときの切り札がなくなってしまい、悪魔や妖怪に対抗できない。その意味でも式王子は、いざなぎ流のひとつの根幹なのである。
 また、「呪い」を信じることで、都合のよいこともある。
 「呪い」や「妖怪」は、しばしば病気や不幸の原因として用いられる。私たちのまわりには突然の不幸や災厄など説明できない事象に満ちている。近代医学が発達した現代でさえ、原因不明の病気は珍しくない。説明できない事柄は、不幸や病気に苦しむ人にその苦しみを解く手段を与えない。原因がわかれば対処の仕様があるが、原因不明の事柄にはただ手をこまねいているしかないからだ。それは何とかしたいと思う人にとっては苦痛である。そこへ「呪い」や「妖怪」といった仮の説明が登場する下地が作られる。宗教者は、「呪い」や「妖怪」を紙で切った御幣などに視覚化し、人間にとりついている呪いや妖怪を、その御幣に集め、山や川に捨て去ってしまう。そのことで実体の無い呪いや妖怪が、排除されたことを演じるのである。何と子供だましな、と呆れられるかもしれない。しかし、何らかの救いを求め、妖怪や呪いを受け入れたい人にとって、この儀礼がある一定の
解放感をもたらしていたことは否定できない。このような儀礼は、突発的な出来事のためだけでなく、日常的にも行なわれ、人間のための一種のストレス解放装置になっていたようである。現代社会に生きる私たちが、それほどうまくストレスを解消できていないことを考えると、この窮屈でギスギスした社会を改善していくてがかりが(良い意味でも悪い意味でも)、そのような山間に伝わる情報の中にあるかもしれない。
私たちが四国の山中で手に入れた情報は、私たちの現在を見る鏡である。私たちは、このような鏡を見ながら、これからどのように生きていけばよいのかを考えるヒントにしたいのである。そのため、私は、いまだ情報化されない世界を求めて、野山をさまよっている。


梅野 光興(うめの・みつおき)

 昭和37年八女郡黒木町生。附設時代は猿田彦大神の調査に没頭。高知大学人文学部、大阪大学文学部大学院修士課程で民俗学を学び、現在高知県立歴史民俗資料館主任学芸員。

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