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1998,現状の憂いとこれからへの提案

49回生  津田 史彦

 まず、文化祭関連の文集と言うことで、業績ある先輩方と機会を同じくして寄稿させていただけることを嬉しく思います。
 それで、こんな若輩が大層なことを書いてもそういった方々には及ばないのは当然のことで、では何を書こうかと考えたところ、やはり、月並みかもしれませんが、今僕や僕の同年代の動き、又、その動いていく先について、感じたままを言葉にしようと思いました。 ここ最近、政治汚職、少年犯罪、モラルの低下、教育の矛盾、不景気、...挙げればきりがない程暗いニュースが飛び交ってはいます。
 しかし、僕ら、僕らの同年代はそれについてどの位言及できているかというと、とりあえず表向きは余り考えていないように見えます、僕の目には。勿論、僕も含めて、考えを外に出していないということはあります。ただ、本当に何も考えていない感じの人も、割に多く見受けられるようです。偉そうなことが言えた義理ではないにしろ、それは多分間違いないでしょう。
 僕の狭い世間では、それでみんな特に問題なく暮らしているようです。ナイフを持つ人も見かけませんし、深刻に経済不振の煽りを食っている人もいないようです。
 しかし、大事なのは、そこで自戒の気持ち、反省の行為をいかに強く持つかと言うことだと僕は思います。
 なまじ恵まれているからこそ、です。
 正直なところを言うと、やはりこの学校に限定すれば、各家庭の生活水準は明らかに高いことは疑いようがありません。それはどうひねくれて考えても、ありがたいことであり、又それが前提にないと、精神も豊かにはなりにくいはずです。
 しかし、それが幼い頃から続くあまり、物的な豊かさが保証されるあまり、それが無尽蔵であり、自分の自由にできる物、そして、親から戴いている物だと言うことを忘れてしまうことがあるようです。いわゆるボンボンですか。
 又、家庭や学校、人との関係の中で精神的な拘束を受けている人も少なくないようです。その裏返しが、破壊的、無節操とも言える物的豊かさへの逃避や、そこから生まれる少年犯罪や売春、無気力といえるでしょう。人はそれぞれですから、人付き合いが苦手とか、思考が浅薄だとかは勿論あって良いでしょう。しかし、それが一般多数を占めるようになると、やはりこれはよい傾向とは言えないでしょう。
 そこにある問題は、社会の歪みとか、そういったことで片付けたい物ではないですが、やっぱりそうだとしか言わざるを得ないと、僕は思います。豊かになった社会、肥大化した社会にそういった物が出てくるのは仕方のないことでしょう。
 責任転嫁のたらい回しはいくらでもできる状況だからこそ、僕たちも安心していられるのかもしれません。大人が悪い、社会が悪い、政治が悪い、教育が悪い、...。
 しかしここで僕が考えるのは、かなり極端な考えですが、もし例えば株の大暴落とか再度の戦争とかの絶対的非常事態が起こったとして、僕ら、甘い生活に慣らされた僕ら、右へ倣えの僕らが、そんな危機的状況の中で、どこまでの底力、生活力を発揮して生きていけるかと言うことです。
 そういった危険は無きにしも非ずな事です。現に安易に比較対象には出来ないかもしれませんが韓国経済は破綻を見たし、軍事的には米国の属国と言っても良いほどの統率力、決断力しか持たない政府、汚職にまみれた政府で、有事の際に的確な対応がとれるかどうか。
 そして僕らはそんなときにどうする、何が出来るか。
 ファシズムが又台頭してきたとして僕らが従うとは思えません。しかし恐らく侵略、非侵略の関係とその行為は人間の思考に大きな影響力を持つ物でしょうし、あれよあれよと言う間に、済し崩し的に戦争の渦中に呑み込まれてしまうかもしれません。
 経済破綻に関しては、高度経済成長時期よろしく、どん底からの復活劇があったとしても、それは今のような閉塞的状況に回帰し繰り返すだけでないと言いきれるかどうか。現在の日本のトップ、或いは、僕らの親や中高年世代は、その時期をがむしゃらに生きてきた結果、或いはその背中を見ながら育ってきた結果、今のような事態を招いてしまったわけですから。勿論そういった人たちの功績を無視して話を進めてしまえば、の話ですが。 しかしなんにしても戦後の人たちには言いしれぬバイタリティがありました。僕らがそれを持てるか。
 そして国内だけでなく、グローバルな問題にも積極的に取り組めるか。
 まあこの事は、僕自身、日本人としてどう振る舞うべきか考えすぎてしまうあまり、逃げ腰になってしまっていることでもあるのですが。
 そして、このような懸念は、あくまで懸念でしかなく、その場になってみないと解らないことでもあるのですけれど。
 そんな大風呂敷よりも、もっと日常的なところで、提案を一つしたいと思います。
 「類は友を呼ぶ」この言葉は、本当だと思います。明るく思慮深く、行動力があって他人を大事にする人。なかなかこういう人はいないかもしれませんが、基本的に僕は誰しも、よほどのことがない限り、この資質を備えていると思っていますし、又、そういう人間に、まあ偽善と紙一重かもしれませんが、なりたいと、なっていく努力をしていきたいと思っています。私事ですが、そう思っていくと不思議な物で、そういう志なり何なりが、本人が気付こうと気付くまいと、備わっている人が近くに集まってくる感じがします。又、そういう物がないと思われた人さえ、変わっていったりもします。
 きれい事だという批判もあるでしょう。実際僕の欠点の一つとして、嫌いな人間はとことん嫌うというのがあります。が、これからの学校、社会は、そういった、いわば意識の相互影響のような物、それに希望を見いだしていけるように進んでいくべきだと僕は思っています。
 それは多分別に難しいことではないのではないでしょうか。近いところからで構わない、親しい友達からで構わないから、うわべだけとか、ただの馬鹿騒ぎで終わらない楽しさ、それが解っていけるような心の持ちようを育てること。それは多分人間性の豊かさや強さに繋がる物です。
 楽観はけして悪いことではありません。
 物事を深く考え、自己反省した上での楽観は現実を見据えられていると思います。
 私的なことでの締めくくりとなってしまいましたが、物を書くことは本当にコヤシだと改めて実感でき嬉しく思っています。
 先輩方、文化祭頑張りましょう。
卒業生の先輩方、それぞれのお仕事をますます大成していって下さい。


津田 史彦(つだ・のりひこ)

現高校1年。

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