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少年よナイフを抱け

45回生  南野 真一郎

 腹の立つ事がない。本当にない。イヤになる程腹が立たない。何でこんなに日本は素晴らしいのか。僕は不満だ。不況の波が押し寄せても少年少女がバタフライナイフを懐に忍ばせていても僕にはちっとも痛くもかゆくもない。やれ現代日本の狂気だのと深刻げにわめかれても、さほど異常な事態と感じるほど、原始的な生い立ちをした覚えもない。ムシロ煮え切らない小悪党にイライラするくらいだ。

 「英雄のいない時代は不幸だが英雄を必要とする時代はもっと不幸だ」という様な言葉を聞いた事がある。記憶があいまいなのでその逆だったかもしれない。まあとにかく、英雄の存在は悪党の存在があってこそ初めて成立するということを言いたいわけだ。だから、小悪党しか準備出来ない今の日本には英雄が生まれて来ない。僕はそれがとても悲しい。英雄に憧れ、野心を膨らませる時の生命感と言ったらとんでもないものだ。ハッキリ言ってしまえば、僕は英雄になりたい。だから倒すべき悪者を必死で探しているのだ。今日は僕が英雄になる為に皆様に悪徳を勧めてみたいと思う。但し最初に言っておくのは悪党になるのも大変難しいということ、その魅力は英雄と同じくらい凄まじいという事だ。この文章を読んで一流の悪徳が生まれれば幸いだ。

 何故、国中を熱くさせるような悪者が出て来ないのだろうか。僕は諸悪の根源はワイドショーやスポーツ新聞女性週刊誌にあると思う。地味で展開もない犯罪のあげ足をとっては「仰天・・・」だの「・・・の狂行」だのまるで一流の犯罪の様に盛りあげ、最後にはいつも決まって「現代の日本は・・・」と飛躍させる。マンガの読み過ぎでカンチガイだけの酒鬼薔薇ふぜいを凶悪犯とはやしたてるのは至極情けない光景だ。大体、ガキがナイフ持ったくらいで眉をしかめる程のことじゃない。あんなのは単なる流行り物だ。ホっておけばじきおさまる。そのガキ共に、そのナイフを振りかざして切裂きジャックのように国中を恐怖に陥れるヴァイタリティがあるとは思えない。せいぜいムカツイた先生やヤンキーを刺し殺すくらいが彼らに出来る精一杯の犯罪だ。酒鬼薔薇にしたって簡単につかまってしまってペラペラっと自白する。フタを開けてみりゃつまらない犯罪だった。事件が発生した時はウチの母など久々の大獲物だと舞い上がってしまって、その日のウチに僕の下宿に電話して来て「この事件の犯人は、神戸だし『国籍を持たない透明存在』だの言ってるし、ズバリ密入国の中国人よ、スネークヘッドよ。」とわめき散らかしていたものだ。僕自身その予想は気に入っており、屈辱と貧困に耐え忍び中華街の裏地ですすりないてる中国人の悲劇を思い描き胸を一杯にした。ところが、つかまってみれば、尻切れトンボもいいところで、幼き天才ならともかく、クラスの人間にまで薄々疑われるようなドンクサさだ。なんて情けない奴だ。そのまま正体を隠していれば幼女連続誘拐殺人の宮崎勤や、グリコ森永殺人事件のキツネ目の男に負けないインパクトを犯罪史に刻んだであろうに、逮捕から数週間もしないうちに、問題は少年法のあり方にすり変わっていた。まさしく、「普通の子」、庶民によるドラマツルギーのない犯罪だった。

 そもそも犯罪とは、やむにやまれぬ所まで追いつめられ、どうしようもない絶望と恐怖を味わった者にのみ与えられる、怒りと悲しみの激情あふれる特別な逸品ではなかったか。味方も敵も必死になって、人間同士ハートとハートでぶつかり合うのが犯罪だったハズだ。それを今時の庶民は一家に何台もクーラーを欲しがるようなノリでお手軽に犯罪という悲劇を楽しもうとしているのだ。分不相応を考えていない。あんまり気軽にコロコロコロコロ殺されるモノだから、おかげで最近ちっとも刑事ドラマが面白くない。アイドル、スターの次は犯罪までもお茶の間から生まれるなんてまったく夢のない話だ。

 思えば昔の犯罪にはガッツがあった。あさま山荘事件や、よど号に代表される全共闘モノの持つ不器用な純粋さは、今でも胸を熱くする人が少なくない。保険金殺人の三浦カズヨシの大芝居には日本中がだまされ圧倒されたし、最近捕まった福田和子の不可解な取り調べもかすむような品ぞろいだ。兎に角、事件の品が違う。例えばプロ野球の汚職にしても「黒い霧」の八百長に、脱税なんてセコイ犯罪では歯が立たない。先の宮崎勤と酒鬼薔薇を比べたって、勤は女の子を殺して犯して骨食った上になおかつビデオにそれをとりその子の家に送りつけたんだ。首切って紙くわえさせたものも彼に比べりゃハッタリだ。取り調べだって勤は立派だ。十年近くもネズミ人間がどうのこうのほざき、死刑の判決をもらった瞬間微動だにしないとは才能以外の何者でもない。

 この豪華な先達達を相手に、現代の僕らは麻原一人で、息巻いている状況だ。大蔵官僚の汚職事件なんて、犯罪と呼べるような代物じゃない。せっかく横領した金が、マイホーム購入やノーパンしゃぶしゃぶに使われたんじゃ立つ瀬がない。彼ら自身も犯罪者としての意識がまったくないのだ。語るにも及ばない。その金、オウムにくれてやれと言いたいくらいだ。

 なんだか妙にグチっぽくなってしまった。当初考えていた悪徳のススメとはほど遠くなってしまったようだ。最後に、話をもどして、悪徳の魅力をお話して終ろう。

 悪党と英雄はその本質で、同項だとはよくいわれる話だ。キリスト教も弾圧に負けずに粘ったからこそ正義だとかローマ帝国の並いる英雄だとか大抵勝てば官軍という金言を引き出す為に使われ、確かに的を得ている。しかし、まけても、またブラックに信心を集めるキレ者もいる。アドルフ・ヒトラーの「我が闘争」は僕も不勉強でまだ読んでないが、彼もその筆頭に挙げてもいいだろう。ついその気にさせてしまう彼の雄弁は、限りなく人間の魅力が理屈を越えている事を物語る。結局、彼のした事は歴史的虐殺でもあるが、同時に圧倒的な上下という人間関係を濃密にしたとも言える。ヒトラーがいなければ「アンネの日記」は書かれなかっただろうしピカソもゲルニカを描かなかっただろう。ユダヤ人は生き残るたびにその悲劇を演じる機会を得、以降頑張って立派になった人も沢山いる。これだってヒトラーの仕業じゃないか。

 歴史は思想ではなく感性で創られてきた。思想だと思っていたものが、実は感性だったりもする。自分の感性を信じて先ず動くことからお勧めしたい。行動があって初めて善悪の選択も出て来る。頭でなく体だ。〆切が目前でなんだかうまくまとめられないが要はそこだ。英雄か悪党かはサイの目にまかせなさい。先ず動く事です。

 最後にこの堂々たる文集の一端に僕を選び、久々にペンを握らせてくれた岡本耕君をはじめとする文化祭実行委員の皆さんと母校に感謝します。ありがとう。頑張ってください。


南野 真一郎(なんの・しんいちろう)

大阪大学経済学部在学。

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