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夢想的現実を生きる高校生

47回生  蓮澤 優

 昨今、中高生による過去に前例のないような不可解な事件が多発しており、大人達は教育的立場から何とかこの世代の心理を解明しようと躍起になっている。真面目半分、面白半分のマスコミの大げさな報道にのせられて、僕達子どもの方もつけあがり、ますます大人をナメてかかるようになってきているようだ。
大体テレビなどで立派な大人達が眉根を寄せて教育論議をしているのを聞いてみると、「子供の人権」とか何とかが重要視されていて、ある意味今の子供は大切に扱われすぎているような気がする。けれども、極端な言い方をすれば本来教育というものは、どんなに民主主義的にとりつくろっても本質的にファシズム的であることを逃れ得ないものだ。例えば学校の教室で、たった一人の教師が何十人もの生徒を相手に一つの事柄を教えるという画一性はファシズム的であるといえる。そういう基本構造を持つ教育を、表面だけ妙にリベラルに歪曲するから様々な側面で摩擦が生じるのではないか。そうなるくらいなら、寧ろ本来の抑圧的な性格をはっきりとあらわした方がよい。
実際、社会の中で子供や若者が「大切に」される時代はロクな時代ではない。かつて軍国主義の時代には国家の未来が若者へ託され、大人達はそろって大いに若者を激励した。そう考えると、子供の人権も何もない、蹴飛ばして教育をしているような時代の方がごく平和な良い時代だといえる。それは、それだけ社会構造が安定し、大人達が社会の担い手としての自信を持っているからそうありうるのである。
あつかましくも言わせてもらえば、確かに今の大人には社会の担い手としての自信や威厳はあまり感じられない。社会構造自体が全く不安定で、その土台が根本からゆらいでいる。環境はこの上なく悪い。
 そういう不安な精神状況のなかで自己形成した我々が、多少なりとも特異な共通意識を持つ世代に育つのは当然といえば当然のことである。そうした世代に属するひとりとして、自分なりに考えてみたこの世代の心理的特徴に着いて、以下述べてみることにする。


先ず第一に、今の子供には想像力がないと言われる。しかしこの言い方は正しくないと思う。寧ろ想像力がないというよりは、現実それ自体の方が僕等の裡に存在していないのである。空想とありのままの現実との落差に足をすくわれて、現実の壁にぶつかるということが僕等にはあまりない。「大切に」育てられ、ある程度ワガママが通る環境にいて、もし何か思い通りにならないことがあっても、すぐそこから逃避することができるからだ。この逃避のプロセスは人によってまちまちであるが、各々自分だけのヴァーチャルな世界というものをもっていて、一人一人が自分の殻に胎児的に閉じこもることができる。(これは別に「オタク」な人に限った話ではなく、援交している女子高生にも同じ事が言えるだろう。)即ち、全員が別々の夢想的世界のなかで生きていて、共通項としての「現実」が成立しえないのである。
このような集団では、それ故、人間関係が極めて希薄で、どれほど親しくなってもある一定の距離を保ったつきあいしかできない。そういう関係が、互いにあまり干渉したり束縛したりしない、良い関係だと思われているようでもある。けれどもそのことが周囲の現実との関わりをますます浅くし、最終的に我々は、世界を圧倒的に自分中心に見るようになる。集団のなかでの経験をくぐることなく生きているために、確固たる現実的自意識――自立と言うことに結びつくような自己認識が形成されないのである。
恐らく僕達に最も欠落しているものは、そうした一貫した自己というものへのはっきりとした手応えであるにちがいない。自己を自己として内在的にとらえるのではなく、一個の対象として自分自身と切り離してしまって、つかみ所のない絵空事のように漠然と認識している。僕達にとってもはやおなじみとなった思考法、それは、ありのままの自分の姿と、自分がそうありたいと望んでいるものの像とを意識下でひそかにすりかえて認識する自己欺瞞である。肉体的実感をともなわない夢想的現実のなかではそうした欺瞞による摩擦は生じえない。
 この奇妙な自己認識のシステムに守られて、我々はどれほど醜悪なぬかるみの裡にあっても清らかさを保っていることができる。我々の世代は、アメ玉のようにベタベタしたものを主食として生きてゆくことに何ら嫌悪感を覚えない、いわば「汚れなき売笑婦」の世代なのである。「自己」のないところに恥などありはしない。


首尾一貫した確固たる自己というものへの意識が欠落していることは、そのまま過去や未来の不在を意味するだろう。あるのは目の前に横たわる現在だけである。現在が、このまま永遠に、単調に続いてゆくような感覚。そういう感覚を僕達は何となくもっているような気がする。だから、この先行きの見えない混沌とした世紀末的現実のなかでもさして不安を覚えることなく、頽廃的ニヒリズムに陥ったりせずに、以外と明るく、楽しげに現実の醜悪さに身をゆだねてゆくことができるだろう。
 それは全くの狂気沙汰であるにちがいない。しかし、それにしかつめらしく嘆息するほどのマトモな感覚を、この世代の一員たる僕は既に残していないのである。


蓮澤 優(はすざわ・すぐる)

現高校3年。

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