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生物学の現在

42回生  上田 泰己

 今日でやっと12日間にわたる旅行も終わりに近づき、ほっとしています。3月24日に日本を出発してから、N.Y.・Washing ton D. C.・Boston・L. A.をまわるとても忙しい旅でした。
 3月24日の夜にN.Y.に着いた僕たちは坂本龍一のStudioを訪れました。彼のStudioはN.Y.のDown Town に在ります。
TaxiでAddressの通りに訪れてみると着いたところは住宅街で普通のアパートが並んでいます。頭の中には既に坂本龍一のStudioが形成されていたので住所を間違えたかと思いましたが、おそるおそるドアをノックしてみるとSaraというbilingualのように日本語と英語を流暢に話す日本人の女性が出て、僕らを招き入れてくれました。地下に案内されるとそこは予想していた通りの気持ちの良い空間で、Digital Camera やLap top computer などテクノの時代を築いた人のStudioらしくHigh technology の電子機器が並んでいました。しばらくすると当の本人が現れました。黒のセーターに黒のズボンで青のスニーカーという格好で、口には髭をたくわえ、髪は白髪混じりという風貌。結構物静かな人のようで終始穏やかな口調で話していました。帰りがけには例によって写真撮影をし、サインをもらいました。僕はちょうどのFrance World Cup 98のT-shirtsを持っていたのでそれにサインをしてもらいました。(でも、開会式のテーマソングは小室が作曲ですが・・・)友人は持っていたSONYのLap top computer "VAIO"にサインをしてもらっていました(坂本龍一は三菱のLap top computerの宣伝に出ていたような・・・)

 現在僕はSONYのComputer Science Laboratoryという研究所と東京大学の分子生物学研究所と東京医科歯科大学に通いながらComputer を使って生物の研究をしています。SONYで研究していることは僕が坂本龍一のStudioを訪れた理由でもあります。というのは僕のSONYのBossである北野宏明さんが坂本龍一の友人だからです。北野さんは人工知能の研究者で自動翻訳の基礎を築いた人です。彼は記憶に基づいた自動翻訳システムを作り上げました。記憶に基づく翻訳は、それまで自動翻訳研究の主流であった、チョムスキーの生成文法に基づいた翻訳とまったく異なるものでした。現在では記憶に基づいた翻訳が主流となり、その研究の功績で北野さんは数学のFields賞にあたるComputer and Thought award を授与されています。
彼は最近ではRobo CupというRobotのWorld Cupを企画し、そのRobo Cup CommitteeのChairman でもあります。今年の6月にFrance でWorld Cupが開催されますがRobo Cupも同時開催するそうです。さらにもう一つ彼が行おうとしていることは、そして僕もその共犯者であるわけですが、生物学を博物学から理学にすることです。用いる道具はComputer です。
 Computerを用いて生物学を研究する領域はちょうどBiology とComputer Scienceの境界に当たります。現在、Computational Biology あるいはTheoretical Biologyという言葉がこの学問領域をさすのに用いられていますが、まだ未開拓な分野です。Computational Biology にはいろいろな研究が在りますが、僕らがやろうとしているのはSimulationです。
 Simulationがどのようなものかを理解するには次のような比喩が便利です。目の前にCDPlayer があると考えてください。CD player は生物と同様に複雑で、使ってはいても理解している人は少ないでしょう。さてこのCD Player を理解するとはどのようなことでしょうか?そして理解するためには何をすればよいのでしょうか?もちろん理解したいCD Player には設計図は添付されていませんし、誰もCDplayerについて教えてくれる人はいません。
 ある人はCDをかけてどのような音楽が流れるか確かめてみるかも知れません。また、早送りや巻き戻し、停止ボタンをあれこれ触ってどのような音が流れるかを確かめてみることでしょう。これは生物学では行動生物学に当たります。あるいはCDplayer を分解して中がどのようになっているか見てみる人もいるかもしれません。これは生物学では解剖学に当たります。そうこうしているうちにCD playerが基本的な部品、例えばコンデンサーや抵抗などからなっていることに気づくでしょう。これらの部品がいったいどこにいくつ在るかを数え上げる人も出てくるでしょう。これは生物学ではGenome Projectに当たります。Genome Projectはある生物、例えばヒト、が持っている全ての遺伝子の塩基配列を決定しようとするものです。Genome Projectによってヒトがいったいいくつの遺伝子を持っているかを知ることができます。また、ある人はある部品を壊してCDPlayer がどうなるかを見ることでしょう。例えば、ある部品を取り除いて全てがとまったとしたらこの部品は電源だろうというように。これはNock Out実験に当たります。例えば、ある遺伝子をつぶしてマウスに学習をさせてみると学習の効率が著しく落ちた。したがって、この遺伝子は学習に関わっているであろうというように。
 遺伝子に関する膨大な知見が日々得られています。しかし、そのほとんどが遺伝子の辞書作りです。僕らが本当に知りたいのは単語の羅列ではなくて文法です。先の比喩でいえばCD playerの設計原理です。そして、工学的な発想からいえば、理解するとはもう一つ別のCD player を作れることです。ただし、そのまま生物に当てはめると倫理的な問題があります。また、材料の用意など技術的な問題が伴います。Computer の中にもう一つ別の生物を作ること。あるいは生物実験の環境を作ること。それが僕らがやろうとしているSimulationです。ここで大事なことはReal なDataに基づいてBottom upにSimulationを行うということと実験によって検証可能な予測を提出することです。
 このような研究はこれまであまりなされてきませんでした。もちろん理論生物学者といわれる人たちはいましたが、彼らは実際の生物を単純化しすぎたためにまたTop Down的なアプローチをとったためにあまり成功しませんでした。また、膨大な実験データが溜まっていくにつれて実験家が直観に頼ってモデルを立てていくのが困難になってきています。今の生物学はちょうど転換期です。僕らが描いている生物学の次の様式は、実験家の発見した実験的事実に基づいて理論家がモデルをたててSimulationをし、そのSimulationから得られた結果を検証するために実験家が実験をし、さらにまたその実験によって得られた事実に…というような実験と理論の共進化状態です。

 坂本龍一にあった次の朝から、僕らの遊説が始まりました。まず手始めにJohn ReinitzというBill Gates に似た顔の研究者のlaboratory を訪れました。彼は、ハエの初期発生の遺伝子発現パターンの画像の自動解析をしている人です。彼のlaboratoryがあるMount Sinai Medical Center という施設はManhattan のup town に位置し、Central Park のすぐ近くです。29階建てのビルの屋上からはN.Y.が一望でき、東にはGhost Basters に出てきたTwin Towers が、やや南にはCentral Parkの湖を眺めることができます。乗り出して下を覗くとめまいのしそうな光景で、流れている車が点のようです。僕らが彼と組む理由はReal なData を必要としているからです。
 Reinitzのところを訪れた次の日はもうWashington D.C.にいました。午前中にNIH(National Institute of Health )というアメリカの医学・生物学的研究の中心的な機関でTalkをし、午後にはUniversity of Marylandという工学では有名な大学でTalkをしました。
 さらにその次の3月27日からFly meeting という学会に参加しました。なぜ、ハエの学会に参加するかというと理由が在ります。生物学では進化の系統樹の各ポイントに集中的に研究されている生物を持っています。原核生物でいうと大腸菌、真核生物では酵母。また多細胞生物になると線虫。昆虫では先のショウジョウバエ。さらに脊椎動物ではマウス。最後にヒトです。これらもモデル生物の中でももっとも研究者人口が多い生物の一つがショウジョウバエです。
 僕らの行動はFly meeting の参加者の中でも特殊でした。他の人は口や手振りを使って説明するのに対して僕らはLap top computer を持ち込んでReal Time Simulationで説明をします。また、他の研究者は鉛筆と紙でノートをとるのに対して僕らはDigital CameraとWord processor でノートをとります。また、他の研究者は学会が終わってから学会で得た情報をもとに実験を始めるのですが、僕らは面白い実験結果があればその場でProgramを書き、新しいSimulationを作ります。
 Fly meeting で僕はハエの複眼の六角格子状のパターン形成について発表をしたのですが、その研究を実際に行っている世界でも有数のLaboratory のBossがかなり興味を持ってくれたみたいで共同研究が成立しそうです。その後、BostonにわたりそこではBraindeis UniversityというところでTalk をし、最後にLos Angels にわたってRichard PheinmannのいたCalifornia Institute of TechnologyでTalkをし、やっと今回の旅行の全ての仕事が終わりました。今はLos AngelsのHotel でこの原稿を書いています。旅行を振り返って感じることは生物学は今変わりつつあるということ。そしてその真っ只中に自分が置かれているということです。生物学がどのように変容するかわかりませんがこのWonder landをしばらく散歩してみようと思っています。


上田 泰己(うえだ・ひろき)

東京大学医学部5年生。3年生の夏に東京大学分子生物学研究所の堀越正美さんの門戸をたたき1年間分子生物学の実験を学ぶ。4年生の夏にSONYの北野宏明さんに出会い、10月にDos/V machine を初めて購入しProgramming を学び始める。4年生の12月の暮れに東京医科歯科大学の萩原正敏さんと共同研究を始め、現在、SONYのComputer Science Laboratory・東京大学分子生物学研究所・東京医科歯科大学に通いながらComputer を使って生物の研究を行っている。

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