徳安 彰氏からの手紙  先に笹尾君への電子メイルで、1週間くらいで返事をすると書いたのに、1ヶ月以上 も経ってしまって申し訳ありません。貴君のメイルにあった20数年前の論文(もどき) を本棚の片隅から引っぱり出して読み直したり、送ってもらった文化祭のパンフレット などの資料を読んだりしてはいたのですが、なかなかまとまった時間がとれず、すっか り返事が遅くなってしまいました。  はじめに、20年以上も前に高校を卒業し、その後高校の現場にほとんどタッチした ことのない人間が、現役の後輩の問いにどのように答えることができるのか、という問 題があります。  昔話というものは、良くも悪くも、記憶の隅に残っている断片をかきあつめて、パッ チワークにするようなものです。当時の考えや思いや実際にやったこと、ぽつりぽつり と脳裏に浮かんではくるのですが、なかなかはっきりとした像を結びません。昔はどう だったかと聞かれても、不正確な答えになってしまいます。また、現在の附設について も、何年か前に大津留先生から話を伺っただけで、実態はよくわかりません。わずかに、 送ってもらったパンフレットなどから、雰囲気を知るのみです。  そういう人間が、しかし貴君たちよりは20数年余計に人生経験をして、たまたま貴 君たちがやがて進む大学という場所で教員の仕事をしている。さらには、社会学者とし ての研究テーマの一つが文化だったりする。そんな立場から、何とか少しでも貴君の熱 意に応えられるようなことを、書いてみたいと思います。  文化祭というのは、思えば奇妙なものです。「文化」祭と見れば、いかにも「文化的」 な展示やパフォーマンスが充実し、日頃の文化活動のレベルの高さを物語る、というの があるべき姿に思えるし、文化「祭」と見れば、文化を肴にどれだけ楽しい「祭」を学 内外の人間が作り上げるか、というのが目標に思えます。「文化」をまじめで格調高い ものと考えると、「祭」にはなりにくいし、「祭」のエンターテインメントを前面にだ すと、易きに流れてただのバカ騒ぎになりかねません。高校の現状はよくわかりません が、大学の学園祭を見ると、ほとんどどこでも、少数派の「文化」と圧倒的多数派の 「祭」がごちゃ混ぜになっています。客層も違うようです。  少し余談ですが、かつては大学生の知性の象徴のように思われていた、そして事実大 学の文化活動を支えていた思想、学術系の文化サークルは、近年その内容がアナクロニ ズムに陥って、衰退の一途をたどっています。かろうじて元気なのは、演劇、音楽、美 術、写真などのアート系サークルだけで、これは直接「見せる」パフォーマンスが中心 だからなのかもしれません。そして、実際にキャンパスの中で多いのは、何をやるんだ かよくわからない(何をやってもいい)ただの仲良しサークルです。特に何かをしたい というわけではないけれど、「とりあえず」友達は欲しい、という昨今の学生のニーズ に一番ぴったりあった形態なのかもしれません。  そういう実態からか、学園祭ともなると、「とりあえず」盛り上がろうよということ になって、サークルで飲食の店を出して内輪で盛り上がるか、かなりの数の学生は休講 (授業が休み)になるのをこれ幸いと何の参加もせずに出てもこない、となるのが現状 です。貴君が書いてくれた附設の現状も、悲観的に見れば、これと似たようなもので、 学校の生徒に対する強制力が働いている分だけ、かろうじて参加への動機づけが保たれ ている、というところかもしれません。  この状態はしかし、われわれがいた20数年前から、すでにあったようにも思います。 ストレートに思想を語ったり社会問題を論じたりすることが、気恥ずかしかったり重苦 しかったりするようになり、どこかに軽い笑いや遊びを入れて、雰囲気を和らげずには いられない(貴君たちの定例会のプリントにさえも、そんな雰囲気が読みとれます)。 真顔の議論がどこか白けてしまうのは、真面目さの中に独善を、真剣さの中に押しつけ がましさを感じてしまっていたからかもしれません。古い世代(俗に言う団塊の世代よ り上)はし ばしば、真剣に対峙して傷つけあうことを恐れる優しさ、あるいは中味のないノリだけ、 と批判がましく言いますが、彼ら自身の活動が持っていた自己の正当性に対する盲信、 主義主張の異なる他者に対する暴力的な否定性、といったことを棚に上げて無反省に批 判されても、素直にうなづけるものではありません(このあたりの世代論は、貴君たち にはもうわからないかもしれませんが、一般論として聞いてください)。  「文化」から「祭」へと重点が移っていったのも、このことと関連しています。学園 における「文化」を担っていた真面目で重たい学術や思想に、独善や押しつけがましさ のにおいが漂いはじめ、「文化」の本体は軽やかなパフォーマンスに移り、さらには 「文化」そのものを否定したり笑い飛ばしたりすることに意義を見出すような「祭」が 幅を利かせるようになる。貴君がしばしば強調しているコミュニケーションは、訴えや 説得から、楽しさの共有や共感へと変質していく。これは、ある意味では時代の流れの 必然です。  決して貴君たちの世代に「真面目」がないわけではありません。昨年の展示にもあっ たいじめなどの教育問題、来年の講演のテーマに検討されている薬物使用、あるいは性 の問題、さらには近年社会的にも大きな話題になっている戦争責任問題、薬害エイズ問 題、環境問題など、若い世代が(あるいは若い世代こそが)真剣に考え、悩み、さらに は行動にまで移す事柄は、いくらでもあります。私も、大学の教壇に立つ身として、高 校を出たばかりの学生諸君の「真面目」な問題意識は、日々肌で感じています。ただ、 そのような意識をどう表現していくのかという問題に、絶対の正解はないと思います。  長い前置きになりましたが、貴君の質問に個別に答えることにしましょう。最初に断 ったように、昔の話は忘れてしまったことも多いし、今は今のやり方を考えればいいと 思うので、「先輩の頃はどうでしたか?」という質問には、特に答えないことにします。 [展示について]  真面目で高尚な展示は敷居が高い。これはどうしようもありません。やる側が本気に なればなるほど、見る側にもそれなりの覚悟が必要になるからです。しかし、真面目で 高尚なテーマを親しみやすく見せる工夫は、あると思います。  最近のテレビ、「知ってるつもり」「女神の天秤」「驚きももの木20世紀」など、 結構シリアスで社会派のテーマをうまく番組に仕立て上げています。NHKスペシャル のような古典的硬派のドキュメンタリーでない方法が開発されつつある、といったら誉 めすぎでしょうか。自然科学ものは、ビジュアル化しやすいせいもあってか、もっと盛 んです。動物ものから環境もの、宇宙ものにいたるまで、最新の知識とビジュアルを駆 使した番組がいくつもあります。  このあたりのセンスは、まさに若い貴君たちの方が、はるかに優れているはずです (パンフレットの表紙一つ見ただけでも、昔とは歴然の差です)。時間的制約や資材の 制約があって、人が唸るようなものを作るのは大変でしょうが、プレゼンテーションの 技術というものには、できる限り気を使った方がいいと思います。せっかく進学校で、 優秀な生徒が集まっているのだから、真面目=社会派と考える必要はなく(「文系」的 発想!)、むしろ「理系」の知識とセンスを活かした展示なども、面白いのではないで しょうか。  たとえば、CGで見せるフラクタル・アートなど、最近はコンピュータの演算能力も 上がったし、プログラムも比較的簡単なので、高校生でも十分作れて、ビジュアルとし ても興味を引くのではないかと思います。(お遊びなら、デジタルカメラを使ったプリ クラ作りなどというのもあります。)  もちろん、女子高生を楽しませる企画も、男子校の「祭」を盛り上げるためには欠か せません。これこそ、もうオッサンになってしまった私などには、何が受けるのやら皆 目見当のつかない世界で、貴君たちがここぞとやる気を出して知恵を絞ればよいと思い ます。戦略的に割り切って言えば、柔らかい企画で人を釣り、硬い企画で評価を得る、 と考えてもいいでしょう。 [バザーについて]  バザー過多の現状は、たしかに頭が痛い点があるでしょう。貴君が言うように、自由 奔放を尊重しながら質の向上を図るのは、なかなかむずかしいところです。少し強権的 にやるのなら、一店ずつ審査、指導するというのもいいでしょうが、逆に反発が出るか もしれません。みんなが納得するためには、遠回りのようですが、やはり一度「何のた めの文化祭か?」「どんな文化祭をやりたいのか?」ということについて、徹底して議 論しておくしかないでしょう。完全な合意などなかなかできませんが、その議論が一定 の規制力として働くと思います。 [一人一役について]  最近の大学の事情は、先に述べたとおりです。高校も、基本的には同じことなのでし ょう。物事をやるときに、厳しい強制力が働かないと、ただ乗り(フリーライダー)が 出るのは、人間集団の宿命のようなものです。中心的な役割を果たすことになった貴君 のような人間は、ある意味で損な役回りで、ただ乗りの連中からは、熱心さを煙たがら れるか、「どうせあいつらは好きでやっているのだから」と思われるのが関の山です。 まわりがそうなればなるほど、「自分たちがこんなに一生懸命やっているのに、おまえ たちはどうしてわからないんだ」と文句の一つも言いたくなるのが人情です。その点で 言えば、貴君のアイデアのように、強制力ではなくイベントの魅力で参加意識を高めよ うというのは、とてもおおらかで懐の深い発想だと思います。 [テーマについて]  これは、もう10月末の定例会で相談して決めてしまったことでしょうか。そうだと すれば、返事が遅くなった今となっては、余計なことは書かない方がいいかもしれませ ん。  ただ一言コメントすれば、言葉遊び的なスローガンは、そろそろ使われすぎた感があ ります。これは、かつての真面目一本の、あるいはやたら政治がかったテーマ設定に対 する反動として、すでにわれわれの頃から使われていた手だからです(また世代論にな ってごめんなさい)。また、英語のフレーズを入れるのも、商業コピーはもとより、最 近の日本のポップスにいたっては、英語のフレーズのない曲を探す方がむずかしいくら いで、うるさい感じがします。案外、きれいな日本語で素直に表現する、という方向も いいのではないかと思うのですが、それは私がすでに完全なオッサン感覚になってしま ったせいかもしれないので、これ以上は言いません。 [中学生の文化祭参加について]  定例会のパンフレットを見ると、中学生がオブザーバーのような資格で参加している ようですね。中学生が、今の文化祭に参加するのがいいのかどうか、なかなかむずかし いところです。貴君の書き方だと、自分たちの手で外部の人に見せて恥ずかしくないも のを作るというのが、一つの方向のように思われます。そして、高校生の目から見て、 中学生では外部に見せて恥ずかしくないと言えるほどのものが作れないのではないかと いう判断があって、参加に否定的になっているように思われます。それも一つの考え方 です。  しかし、同じ校舎で毎日の学園生活を送る先輩・後輩として、たがいの交流と相互理 解の機会があってもいいと思います。その機会として文化祭を捉えるのも、一つの考え 方です。貴君たちから見ると、幼稚で足手まといにしかならないような中学生であって も、中学生の側にしてみれば先輩との交流をとおした成長の機会になりうるでしょうし、 実はそのような幼稚な足手まといをきちんと指導する中で、貴君たち高校生の側にもよ り一層の成長の道が開ける局面もあると思います。小学校を出てきたばかりの中学1年 生と、もうじき大学に入ろうかという高校3年生が、同じ文化祭という空間の中にいる というのは、結構愉快な気がします。思えば小学校だって、1年生から6年生まで、同 じ空間でいろいろな行事をやるではありませんか。  とはいえ、本当に中学生が参加するとなると、現在の文化祭の形態は、ある意味で根 本から考え直さなければならなくなるでしょう。貴君たちの側に否定的な考えが強くあ るのなら、中学の生徒会や先生方も含めて、どのような問題があるのか、どのような可 能性があるのか、きちんと議論した方がいいと思います。それはまた、「今自分たちが 作ろうとしている文化祭はどのようなものか?」という問いとなって、再びみずからに 返ってくる問題でもあるからです。 [「情熱と理性の止揚」について]  この古証文の文句を見ていると、当時の少し思い詰めた心情が思い出されて、いささ か気恥ずかしい感じがします。この文句を書いていたときには、いささか馬鹿馬鹿しい けれど楽しい企画に相当嫌悪感を抱いていて、どうしてみんなが真面目で高尚なものに 情熱を傾けて、立派な文化祭を作ろうという気にならないのだろうか、と一人で煩悶し ていました。最初に書いた言葉を使えば、「文化」祭こそがあるべき姿で、文化「祭」 などくそくらえ、と思っていました。その点からいうと、貴君の理解はいささか買いか ぶりというべきでしょう。  それにひきかえ、貴君の考えた3つの方針には、「文化」に凝り固まって頑なになる ことなく、柔軟な発想で「祭」としても盛り上げよう、という気持ちがよく表現されて います。少し大人になりすぎているくらい、バランスのとれた考え方だと思います。文 化委員長としても、適材と思います。ただ、定例会の記録を読むと、もっと頑なな奴や 型破りな奴がいて、話をかき回して面白くすればいいのに、という気が少しします。み んな、いささか物わかりがよすぎて、良い子にすぎる印象があります。ただそこらあた りは、オッサンになった古い先輩のないものねだり、あるいはたんなる誤解かもしれま せん。あまり気にしないでください。  最後に、一言お礼を言います。ちょうど大学の学園祭の季節に届いた貴君のメイルは、 大学での文化活動の不毛にいささか絶望していた私に、ある新鮮な熱意を思い出させて くれました。大津留先生が、まだ私の古証文を教材に使っていたとは赤面の至りですが、 それを真面目に読んで、生硬ではあったけれど純粋でもあったあの頃の思いを受け継い で、立派に新しい伝統を作ろうとしている後輩がいる、という事実に感銘を受けました。 そして、たんなるノスタルジアではなく、あの頃の初心を思い出すことができました。 貴君たちの今の熱意を、どうかまた後輩にも伝えていってください。ありがとう。   ********************     徳安 彰(法政大学社会学部)     atokuyas@mt.tama.hosei.ac.jp   ********************